早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 午後9時半。ホテル四階の中華レストランには黎明の雨のキャスト、スタッフが集まっている。今夜は撮影の中打ち上げだ。

『まずは亡くなったアシスタントディレクター、平井透さんへ黙祷を捧げます』

 助監督の合図でその場にいる全員が今朝死亡した平井透へ手を合わせた。警察が平井の死を自殺と判断したことで、キャスト、スタッフ達は平井は自殺したものだと思い込んでいる。

真実を知るのはこの中にいると思われる犯人Bと、なぎさ、矢野、玲夏、蓮のみ。

『……それでは今後の撮影も何もトラブルがないことを祈り、キャスト、スタッフが最高の仕事ができるように、乾杯っ』

 約1分間の黙祷の後、乾杯の掛け声がかかってグラスが合わさる音があちらこちらで聞こえた。玲夏に送られた殺人予告、平井を殺害したかもしれない犯人Bの存在、この状況下ではいつ何が起きるかわからない。

 矢野となぎさはアルコールは乾杯の時に一口飲む程度に留めて、以降はソフトドリンクでこの場をやり過ごす。しかし他のキャストやスタッフは打ち上げが進むとすっかりほろ酔い気分になっていた。

なぎさには男性スタッフが、矢野には女性スタッフが絡んでいる。立食形式の会場で矢野の周りは女性スタッフだらけになっていた。

「矢野さんと秋山さんって付き合ってるんじゃないかって噂になってるんですよ」
『そうなの?』
「そうですよぉ。付き人同士で怪しいよねぇって。矢野さんスタッフに人気あるんですよ。一ノ瀬さんと並ぶとイケメン二人組で絵になるぅって!」

 女性スタッフの話し相手をしつつ矢野の目は会場に散らばる北澤愁夜や加賀見泰彦を捉えている。
速水杏里と香月真由の姿は残念ながらここからでは見えなかった。

(女の子は大好きだけど、ここまでくっついて来られると容疑者の監視ができねぇなぁ……)

 若い女性スタッフが矢野の腕に絡み付く。赤い顔をした彼女は潤んだ瞳で矢野を見上げた。

「矢野さん。この後、お部屋に伺ってもいいですか?」
『あー……ごめんね。今夜はまだ仕事が残ってるんだ。また今度、ね』

また今度は永遠には訪れない甘い嘘。そんな嘘を信じてしまう女に多少の罪悪感はあるが、これが大人の世界だ。

(真紀ちゃんに違法捜査させてる時に、俺が女とイチャイチャ遊ぶわけにはいかないだろ。そんなの真紀ちゃんの鉄拳食らうぞ。まぁちょっとはヤキモチ妬いてくれたら嬉しいけどさ)

 好きな女とはなかなか距離が縮まらず、好きでもない女との距離は勝手に縮まる。恋愛だけは、どうしてもままならない。

 なぎさを見ると男性スタッフに囲まれて困り果てていた。

(なぎさちゃん、まーた囲まれてる。早河さんも狼の檻にウサギを放り込むようなことしたよな)

蓮と目が合った。蓮もなぎさを心配しているようだ。矢野は女の群れを抜け出して蓮のもとへ向かった。
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