早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 早河と玲夏を社長室に残してなぎさと蓮は廊下の一角のソファーに座った。吉岡は別の部屋に消えた。なぎさの口から溜息が漏れる。

 あんな場面、見たくなかった。

 早河が玲夏の名前を呼ぶ声、早河の玲夏を見る目、玲夏が早河の名前を呼ぶ声、玲夏の早河を見る目。

玲夏が早河を求めて彼に抱き付いたあの瞬間、なぎさの心に黒く暗い雨雲が現れ雨を降らせた。その雨の名は嫉妬。

 早河が玲夏を拒絶せずに受け入れた時、心がズキッと音を立ててひび割れた。優しい目をして玲夏を見つめる早河を見ていたくなかった。
やだ、やめて、とらないで。トラナイデ……

『あれを見ちゃうとさぁ……さすがに参るよ。俺は泣いてる玲夏に何もできなかったのに、横から現れた元カレさんはあっさり玲夏をさらっていきやがった。俺、イイトコ無しじゃん。カッコ悪ぃ……』

 蓮が廊下の自販機で買った缶コーヒーの一本をなぎさに渡す。彼はもう一本のコーヒーのプルタブを開けて立ったままコーヒーを飲んでいた。

「一ノ瀬さんの好きな人って玲夏さんですよね?」
『そうだよ。玲夏がモデルやってた頃からだから……うわぁ! 10年は玲夏に片想いしてるのかよ』

弱々しく微笑する蓮は神戸ロケ初日に衣装部屋で見た時と同じ表情をしていた。

『なぎさちゃんはあの人が好きなの?』
「あの人って……」
『君の上司の探偵さん』

なぎさが蓮から目をそらした。その反応が答えだ。

『そっか。そりゃあなぎさちゃんもショックだよな』
「自分がすごく嫌な人間に思えてきて……。玲夏さんが大変な時に私は自分のことばかり考えて……こんな自分が嫌い……」
『玲夏に嫉妬してる?』

 蓮の口調は優しい。責めているのではなく、妹をあやす時のような、穏やかなものだった。なぎさは頷いた。

『俺も同じだよ。俺も今、なぎさちゃんの上司にめちゃくちゃ嫉妬してる。なに見せつけてくれてんだよって。でも仕方ないだろ? 嫉妬するほど本気で好きなんだから』
「本気で……好き……」

 いつの間にか自分でも知らないうちに早河の存在が大きくなっていた。
玲夏に早河を盗られてしまうのではと怖くなった。あの二人は本当はまだお互いに好き同士で、これを機に関係が戻ってしまうのではないかと恐れていた。

 彼を盗らないで……そう心の中で叫んでいた。こんなに好きになっていたなんて知らなかった。

 切なくて、苦しくて、愛しくて、あの人を独り占めしたい。

〈あなたの隣〉は私で在りたい……。
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