早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
真紀が香道秋彦と出会ったのは彼女が警視庁に配属された4年前、25歳の時だった。捜査一課の部署はいくつかのチーム編成で分けられている。
真紀が所属した班は上野恭一郎が仕切っているチームだ。チームには後に親友の本庄玲夏の恋人となる早河仁と、先輩刑事の香道秋彦がいた。
早河と香道はバディ。相棒同士でいつも二人一緒にいた。
一匹狼で冷静、冷めているように見えて情に深い早河と、陽気で温厚だが猪突猛進な香道、互いに足りない面を補うこの二人は、後輩の真紀の目から見ても最高のバディだった。
早河が玲夏と交際を始めたことをきっかけにして、プライベートでは玲夏を交えて早河と香道と四人で飲みに行く機会もたびたびあった。
香道のことは最初は刑事として手本になる良い先輩だと思っていた。……あの時までは。
真紀が捜査一課に配属されて半年が過ぎた頃、ある殺人事件の被疑者が逮捕直前に逃走した。早河、香道と共に真紀も被疑者を追い、発見した被疑者を包囲した。
刑事に取り囲まれて錯乱した被疑者は、所持していたナイフを振り回して真紀に突進してきた。男二人に女一人、真紀なら倒せると思ったのか、真紀を人質にするつもりだったのか、とにかく被疑者は女の真紀を狙った。
真紀は振り回されるナイフを見て恐怖で動けなくなった。これまでも被疑者と対峙した経験はあるが、被疑者が自分めがけてナイフを向けることはなかった。
人に凶器を向けられるとはこんなにも恐ろしいものなのかと身がすくんだ。動けない真紀に容赦なく刃物が振り下ろされる。
『小山っ!』
硬直した真紀を庇ったのは香道だった。血が吹き飛んで地面に赤色の染みを作る。
香道は腕を切られながらも被疑者を組伏せ、早河が手錠をかけた。その一部始終を真紀は見ていることしかできなかった。
「香道先輩! 大丈夫ですかっ!?」
腕を押さえる香道に真紀は駆け寄る。すぐにハンカチを出して香道の腕を止血した。
『平気平気。かすり傷』
「すみません。私のせいで……刑事なのに……」
涙が出そうになるのを歯をくいしばって堪えた。血のついた香道の大きな手が、震える真紀の手を握った。
『そうだ。何があっても現場では泣くなよ。現場で泣いたら負けだ。特に小山は……女だ。女が現場で泣けば、男に馬鹿にされる。だから現場では泣くな。いいな?』
「……はい」
『お前が怪我しなくて良かったよ』
気付いた時には彼に惹かれていた。ああ、好きだなって思った。
好きだと自覚した時には、香道にはすでに桐原恵という恋人がいた。
香道が男社会で働く女の気持ちに敏感なのは、医療の世界で働く恋人の影響があるのだろう。
その2年後の春には香道とこんなやりとりを交わしたのを覚えている。捜査一課のデスクで香道はジュエリーブランドのカタログを広げていた。
『なぁ小山ー。婚約指輪ってどんなやつがいいと思う?』
「私ならこれがいいです。あ、こっちも可愛い」
真紀は心がひび割れる感覚を押さえつけて笑顔で振る舞った。真紀が選んだ指輪を見て、香道は眉をひそめる。
『うーん、こういうのって俺にはどれも同じに見えるんだよなぁ』
「ちゃんと彼女さんに似合うものにしてあげてくださいね。でも先輩、やっと彼女さんにプロポーズするんですね」
『まぁ、そろそろな。やっぱり子ども欲しいしさ、するなら今のタイミングだなって』
照れ臭く笑う香道の顔は幸せに満ちていた。それから数ヶ月後の夏、8月13日。
香道秋彦は早河を銃弾から庇って殉職した。香道を殺したのは犯罪組織カオスのキング、貴嶋佑聖──。
真紀が所属した班は上野恭一郎が仕切っているチームだ。チームには後に親友の本庄玲夏の恋人となる早河仁と、先輩刑事の香道秋彦がいた。
早河と香道はバディ。相棒同士でいつも二人一緒にいた。
一匹狼で冷静、冷めているように見えて情に深い早河と、陽気で温厚だが猪突猛進な香道、互いに足りない面を補うこの二人は、後輩の真紀の目から見ても最高のバディだった。
早河が玲夏と交際を始めたことをきっかけにして、プライベートでは玲夏を交えて早河と香道と四人で飲みに行く機会もたびたびあった。
香道のことは最初は刑事として手本になる良い先輩だと思っていた。……あの時までは。
真紀が捜査一課に配属されて半年が過ぎた頃、ある殺人事件の被疑者が逮捕直前に逃走した。早河、香道と共に真紀も被疑者を追い、発見した被疑者を包囲した。
刑事に取り囲まれて錯乱した被疑者は、所持していたナイフを振り回して真紀に突進してきた。男二人に女一人、真紀なら倒せると思ったのか、真紀を人質にするつもりだったのか、とにかく被疑者は女の真紀を狙った。
真紀は振り回されるナイフを見て恐怖で動けなくなった。これまでも被疑者と対峙した経験はあるが、被疑者が自分めがけてナイフを向けることはなかった。
人に凶器を向けられるとはこんなにも恐ろしいものなのかと身がすくんだ。動けない真紀に容赦なく刃物が振り下ろされる。
『小山っ!』
硬直した真紀を庇ったのは香道だった。血が吹き飛んで地面に赤色の染みを作る。
香道は腕を切られながらも被疑者を組伏せ、早河が手錠をかけた。その一部始終を真紀は見ていることしかできなかった。
「香道先輩! 大丈夫ですかっ!?」
腕を押さえる香道に真紀は駆け寄る。すぐにハンカチを出して香道の腕を止血した。
『平気平気。かすり傷』
「すみません。私のせいで……刑事なのに……」
涙が出そうになるのを歯をくいしばって堪えた。血のついた香道の大きな手が、震える真紀の手を握った。
『そうだ。何があっても現場では泣くなよ。現場で泣いたら負けだ。特に小山は……女だ。女が現場で泣けば、男に馬鹿にされる。だから現場では泣くな。いいな?』
「……はい」
『お前が怪我しなくて良かったよ』
気付いた時には彼に惹かれていた。ああ、好きだなって思った。
好きだと自覚した時には、香道にはすでに桐原恵という恋人がいた。
香道が男社会で働く女の気持ちに敏感なのは、医療の世界で働く恋人の影響があるのだろう。
その2年後の春には香道とこんなやりとりを交わしたのを覚えている。捜査一課のデスクで香道はジュエリーブランドのカタログを広げていた。
『なぁ小山ー。婚約指輪ってどんなやつがいいと思う?』
「私ならこれがいいです。あ、こっちも可愛い」
真紀は心がひび割れる感覚を押さえつけて笑顔で振る舞った。真紀が選んだ指輪を見て、香道は眉をひそめる。
『うーん、こういうのって俺にはどれも同じに見えるんだよなぁ』
「ちゃんと彼女さんに似合うものにしてあげてくださいね。でも先輩、やっと彼女さんにプロポーズするんですね」
『まぁ、そろそろな。やっぱり子ども欲しいしさ、するなら今のタイミングだなって』
照れ臭く笑う香道の顔は幸せに満ちていた。それから数ヶ月後の夏、8月13日。
香道秋彦は早河を銃弾から庇って殉職した。香道を殺したのは犯罪組織カオスのキング、貴嶋佑聖──。