早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 二度目の射精の後、今度こそ二人はベッドに倒れ込んだ。

『大学楽しい?』
「ぜーんぜん楽しくない。ムカつく女がいるんだよね」

 情事の余韻が残るけだるい身体で、だらだらと続ける意味のない会話。

 男が相槌を打って話を聞いてくれるのをいいことに、明日香は柴田と美月の愚痴を語り始めた。今日初めて会ったばかりの人間にしか話せないこともあるものだ。

『先生の手帳からその女の写真がねぇ』
「学校にいる時の写真や道を歩いている時のとか……」
『うわぁ盗撮じゃん。その先生、明日香ちゃんが嫌いな女のこと好きっぽいね』
「嫌! そんなの絶対に嫌! あの子に先生は渡さない。私は先生がいないと生きていけないの。あんな子にはあげないっ!」

激しくかぶりを振って激昂する明日香を見て男は苦笑し、ベッドを降りた。

『その女のこと相当嫌いなんだな』
「嫌いよ。浅丘美月なんて大っ嫌い」
『……浅丘美月?』

 冷蔵庫で冷やした缶ビールに手を伸ばした男は美月の名前に反応した。彼は冷蔵庫から二本取り出したビール缶の一本を明日香に渡してベッドに腰掛ける。

『明日香ちゃんが嫌いな女って美月って名前なんだ?』
「うん。満月の夜に産まれたから美月なんですぅーって可愛いこぶって自己紹介で言ってた。ホントにうざい。消えればいいのに」

 プルトップを乱暴に開けてビールを呷る明日香の横で彼は記憶の海に潜る。

スズキやタナカならともかく、アサオカと呼ばれる苗字はそれほど多くない。さらに下の名前がミツキとなれば、ひとりだけ彼の記憶に残っている女がいる。

(ひょっとしてあの浅丘美月か? 明日香が今年ハタチってことは年齢を考えるとそうなるよな)

『明日香ちゃんて大学どこ?』
「明鏡大」
『良いとこ行ってるね』
「別に行きたくもなかったんだけど親が世間体のために行けって言うからさぁ。そういう親なの」

 明日香の話は美月の話から親の愚痴に切り替わり、男は話を聞くフリをしながら別のことを考えていた。酔いが回って赤い顔をした明日香と彼はキスを交わす。

「また会いたいな。あなたのこと気に入っちゃった」
『俺もだよ』
「名前……まだ聞いてなかった。教えて?」
『……わたる』
「わたるくん?」
『呼び捨てでいいよ。明日香』

 明日香との出会いが青木渡の心の奥でくすぶっていた悪魔を目覚めさせた。明日香を部屋に残してシャワーを浴びる青木は雫の滴る髪を掻き上げてほくそ笑む。

(まさかここで浅丘美月の名前を聞くことになるとはな。久しぶりに“面白いこと”してみるか)

 彼の顔は悪意に満ちていた。
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