早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
8月9日(San)
狙いを定め、引き金を引く。真紀の持つ拳銃から発射された弾が人の形をした的に命中する。一発、二発、三発……最後の弾だけ彼女は狙いを外した。
『最後、お前にしては珍しく外したな』
真紀の上司の上野恭一郎は射撃訓練場の壁にもたれて、真紀の背中に話しかけた。拳銃を下ろした真紀が振り返る。
「考え事をしていて……」
『銃を持つ時は余計なことは何も考えるな。銃ってのは心が乱れている時に扱うのが一番危ない』
「……はい」
上野は真紀の隣に並び、拳銃を構えた。
『お前……最近は手柄を挙げても嬉しくなさそうだな』
上野の拳銃から放たれた弾は正確に人型の的の左胸を撃ち抜いた。
昨日、品川で起きた連続通り魔を逮捕した。矢野が情報を与えてくれた風俗店の張り込みを行った結果、風俗店に現れた男は連続通り魔の被疑者に間違いなかった。
逮捕したのは真紀だ。
矢野の情報はいつも正確。矢野と主にコンビを組んでいる探偵の早河も、上野と真紀も矢野の情報を疑ったことはない。
警察も掴んでいない情報を彼は入手して真紀に教える。情報を誰よりも早く入手した真紀は必然的に他の刑事を出し抜いて被疑者を逮捕し、手柄を挙げる。
「矢野くんはどうして私に情報をくれるんでしょうか……」
拳銃から弾を抜いていた上野が真紀の質問に吹き出した。
『それを俺に聞くのか? そんなもの、お前が一番よくわかってるだろ?』
「それはそうですけど……」
『矢野に挙げさせてもらった手柄だとでも思っているのか?』
「いえ……。ただ、矢野くんの好意を利用しているんじゃないかって。それって自分が女であることを利用しているみたいで嫌なんです」
二人は訓練場を出て廊下の自販機で飲み物を買った。上野は立ったまま、真紀はベンチに座ってそれぞれ飲み物を飲む。
『昔、恵子も同じことを言っていたよ』
「恵子って……篠山管理官のことですか?」
篠山恵子は3年前まで上野の恋人だったキャリア組の警察官だ。出世して、彼女は上野よりも立場が上になっている。
『ああ。恵子も自分が女だからそれを利用して出世している気がして嫌だとか、お前と似たことを言っていた。今はあいつも割り切って女であることを利用しているようだがな』
上野の表情が淋しげに見えた。かつての恋人が出世のために女を使っていることを嘆いているのかもしれない。
『同じ刑事でも志《こころざ》しは同じじゃない。警察組織で生き残るやり方は人それぞれだ。出世のためには手段を選ばない奴も、早河のように組織に囚われるのを嫌って辞める奴も……みんな何かしらの志しがある。小山、お前はどうして刑事を続けている?』
「私は……」
彼女は手元の缶コーヒーを見下ろした。このコーヒーよりも矢野が淹れるコーヒーの方が遥かに美味しい。
「香道先輩を殺した貴嶋を逮捕してカオスを壊滅させる……今の私にはそれしか考えられません」
『じゃあそれでいいじゃないか。何も迷うことはない』
上野は穏やかに微笑して頷き、飲み終えた空き缶をゴミ箱に捨てた。
『矢野のことも好きなだけ使えばいい。矢野がそれを望んでいるんだ。お前が手柄を挙げればあいつは喜ぶぞ』
真紀をベンチに残して上野は去った。彼女は溜息をついて、薄暗い廊下の寿命が近付いて切れかかっている電灯を見つめた。
狙いを定め、引き金を引く。真紀の持つ拳銃から発射された弾が人の形をした的に命中する。一発、二発、三発……最後の弾だけ彼女は狙いを外した。
『最後、お前にしては珍しく外したな』
真紀の上司の上野恭一郎は射撃訓練場の壁にもたれて、真紀の背中に話しかけた。拳銃を下ろした真紀が振り返る。
「考え事をしていて……」
『銃を持つ時は余計なことは何も考えるな。銃ってのは心が乱れている時に扱うのが一番危ない』
「……はい」
上野は真紀の隣に並び、拳銃を構えた。
『お前……最近は手柄を挙げても嬉しくなさそうだな』
上野の拳銃から放たれた弾は正確に人型の的の左胸を撃ち抜いた。
昨日、品川で起きた連続通り魔を逮捕した。矢野が情報を与えてくれた風俗店の張り込みを行った結果、風俗店に現れた男は連続通り魔の被疑者に間違いなかった。
逮捕したのは真紀だ。
矢野の情報はいつも正確。矢野と主にコンビを組んでいる探偵の早河も、上野と真紀も矢野の情報を疑ったことはない。
警察も掴んでいない情報を彼は入手して真紀に教える。情報を誰よりも早く入手した真紀は必然的に他の刑事を出し抜いて被疑者を逮捕し、手柄を挙げる。
「矢野くんはどうして私に情報をくれるんでしょうか……」
拳銃から弾を抜いていた上野が真紀の質問に吹き出した。
『それを俺に聞くのか? そんなもの、お前が一番よくわかってるだろ?』
「それはそうですけど……」
『矢野に挙げさせてもらった手柄だとでも思っているのか?』
「いえ……。ただ、矢野くんの好意を利用しているんじゃないかって。それって自分が女であることを利用しているみたいで嫌なんです」
二人は訓練場を出て廊下の自販機で飲み物を買った。上野は立ったまま、真紀はベンチに座ってそれぞれ飲み物を飲む。
『昔、恵子も同じことを言っていたよ』
「恵子って……篠山管理官のことですか?」
篠山恵子は3年前まで上野の恋人だったキャリア組の警察官だ。出世して、彼女は上野よりも立場が上になっている。
『ああ。恵子も自分が女だからそれを利用して出世している気がして嫌だとか、お前と似たことを言っていた。今はあいつも割り切って女であることを利用しているようだがな』
上野の表情が淋しげに見えた。かつての恋人が出世のために女を使っていることを嘆いているのかもしれない。
『同じ刑事でも志《こころざ》しは同じじゃない。警察組織で生き残るやり方は人それぞれだ。出世のためには手段を選ばない奴も、早河のように組織に囚われるのを嫌って辞める奴も……みんな何かしらの志しがある。小山、お前はどうして刑事を続けている?』
「私は……」
彼女は手元の缶コーヒーを見下ろした。このコーヒーよりも矢野が淹れるコーヒーの方が遥かに美味しい。
「香道先輩を殺した貴嶋を逮捕してカオスを壊滅させる……今の私にはそれしか考えられません」
『じゃあそれでいいじゃないか。何も迷うことはない』
上野は穏やかに微笑して頷き、飲み終えた空き缶をゴミ箱に捨てた。
『矢野のことも好きなだけ使えばいい。矢野がそれを望んでいるんだ。お前が手柄を挙げればあいつは喜ぶぞ』
真紀をベンチに残して上野は去った。彼女は溜息をついて、薄暗い廊下の寿命が近付いて切れかかっている電灯を見つめた。