早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
8月13日(Thu)
今日は先輩刑事の香道秋彦の命日だ。早河が貴嶋と対峙して、貴嶋の弾丸から早河を庇った香道が殉職してから丸2年になった。
午後になって真紀は早河探偵事務所に立ち寄った。事務所に矢野がいるか気になったが、幸いにも矢野もなぎさも不在で事務所には早河だけがいた。
なぎさは兄の命日で実家に帰っていると聞いた。
「あの、矢野くんの具合は……?」
負傷した矢野と出くわしたのは一昨日の夜だ。
『あれから病院に連れて行って精密検査受けさせた。特に異常なし』
早河の雰囲気がいつもと違うのは先輩刑事の命日で感傷的になっているからかもしれない。真紀も今日は2年前の出来事を思い出して溜息ばかりついている。
『あいつが心配なら俺に聞かなくても矢野に連絡すればいいじゃねぇか』
「そうなんですけど……気まずくて」
矢野に関係ないと言われた言葉に傷付いている自分に戸惑う。いつもはこちらが彼を拒絶していたのに彼から拒絶されたのは初めてだ。
勝手なもので、矢野が自分を拒絶することはないと思い込んでいた。矢野の好意に思い上がって自惚れていた自分が恥ずかしい。
『矢野がどうして小山を遠ざけたかわかるか?』
「世話を焼く私が鬱陶しかったんじゃないでしょうか」
『逆だよ。あの時、矢野はまだ追われていたんだ。矢野を襲った奴らが近くにいた。あいつはお前を巻き込みたくなかったんだよ』
「巻き込みたくないって……それならそう言ってくれれば……いいのに」
口元を尖らせて拗ねる真紀は早河が淹れたコーヒーを飲んだ。早河が淹れるコーヒーはもちろん美味しいが、矢野のコーヒーが恋しかった。
『それを言わないのが男ってものだ。好きな女の前ではどうしても格好つけちまうものだよ』
「へぇ。早河さんもなぎさちゃんに対してはそうなんですか?」
『ん? どうしてなぎさが出てくるんだ?』
早河はとぼけているようでもなく、本気でわからないと言った様子だ。なぎさの早河への気持ちは見れば明らか、早河だってなぎさのことを大切にしているのは見ていればよくわかる。
この男は他人の事情には勘が働くくせに、自分の事情には鈍感だ。
「なぎさちゃんには上司として格好つけているのかなって思っただけで……」
『それはあるかもな。俺が言うことでもないが、小山には矢野は合ってると思うぞ』
「それは相性がいいと?」
『さぁな。でも矢野といても嫌じゃないだろ?』
「……はい」
それは認めるしかない。嫌な相手なら、わざわざ休日の時間を使って二人で会ったりもしない。
「自分の気持ちがわからないんです」
『矢野のことが好きかわからないってことか?』
頷いた真紀を見て、早河は声を押し殺して笑った。
「もうっ! 笑わないでくださいよ」
『悪い悪い。そうやって悩む時点で矢野のこと意識してるよな?』
「でもそれが悔しくて……」
『それでもいいじゃねぇか。強がらず素直になれよ』
まだ早河は笑っている。早河は刑事を辞めてからよく笑うようになった。
今日は先輩刑事の香道秋彦の命日だ。早河が貴嶋と対峙して、貴嶋の弾丸から早河を庇った香道が殉職してから丸2年になった。
午後になって真紀は早河探偵事務所に立ち寄った。事務所に矢野がいるか気になったが、幸いにも矢野もなぎさも不在で事務所には早河だけがいた。
なぎさは兄の命日で実家に帰っていると聞いた。
「あの、矢野くんの具合は……?」
負傷した矢野と出くわしたのは一昨日の夜だ。
『あれから病院に連れて行って精密検査受けさせた。特に異常なし』
早河の雰囲気がいつもと違うのは先輩刑事の命日で感傷的になっているからかもしれない。真紀も今日は2年前の出来事を思い出して溜息ばかりついている。
『あいつが心配なら俺に聞かなくても矢野に連絡すればいいじゃねぇか』
「そうなんですけど……気まずくて」
矢野に関係ないと言われた言葉に傷付いている自分に戸惑う。いつもはこちらが彼を拒絶していたのに彼から拒絶されたのは初めてだ。
勝手なもので、矢野が自分を拒絶することはないと思い込んでいた。矢野の好意に思い上がって自惚れていた自分が恥ずかしい。
『矢野がどうして小山を遠ざけたかわかるか?』
「世話を焼く私が鬱陶しかったんじゃないでしょうか」
『逆だよ。あの時、矢野はまだ追われていたんだ。矢野を襲った奴らが近くにいた。あいつはお前を巻き込みたくなかったんだよ』
「巻き込みたくないって……それならそう言ってくれれば……いいのに」
口元を尖らせて拗ねる真紀は早河が淹れたコーヒーを飲んだ。早河が淹れるコーヒーはもちろん美味しいが、矢野のコーヒーが恋しかった。
『それを言わないのが男ってものだ。好きな女の前ではどうしても格好つけちまうものだよ』
「へぇ。早河さんもなぎさちゃんに対してはそうなんですか?」
『ん? どうしてなぎさが出てくるんだ?』
早河はとぼけているようでもなく、本気でわからないと言った様子だ。なぎさの早河への気持ちは見れば明らか、早河だってなぎさのことを大切にしているのは見ていればよくわかる。
この男は他人の事情には勘が働くくせに、自分の事情には鈍感だ。
「なぎさちゃんには上司として格好つけているのかなって思っただけで……」
『それはあるかもな。俺が言うことでもないが、小山には矢野は合ってると思うぞ』
「それは相性がいいと?」
『さぁな。でも矢野といても嫌じゃないだろ?』
「……はい」
それは認めるしかない。嫌な相手なら、わざわざ休日の時間を使って二人で会ったりもしない。
「自分の気持ちがわからないんです」
『矢野のことが好きかわからないってことか?』
頷いた真紀を見て、早河は声を押し殺して笑った。
「もうっ! 笑わないでくださいよ」
『悪い悪い。そうやって悩む時点で矢野のこと意識してるよな?』
「でもそれが悔しくて……」
『それでもいいじゃねぇか。強がらず素直になれよ』
まだ早河は笑っている。早河は刑事を辞めてからよく笑うようになった。