早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 フランスから帰国後も有紗はたびたび事務所に遊びにやって来る。事務所に来て何をするでもなく、早河やなぎさと談笑したり学校の課題を片付けたりして帰っていく。

 傍目には仕事の邪魔をする迷惑な客に見えるが実はそうではない。有紗は遊びに来る日程を事前に早河やなぎさにメールで確認している。

一時期、早河となぎさの仕事を間近に見ていた有紗は、二人の仕事内容がどんなものか理解していた。事務所を訪ねても迷惑にならない日を選ぶのは高校生の有紗なりの配慮と気遣いだと早河もなぎさもわかっていた。

 いつものように冷蔵庫から勝手に麦茶を出し、なぎさが有紗用に買ってきてある菓子を摘まみながら寛ぎ始める彼女を、いつものようにほったらかしにしている早河は、煙草とコーヒーの黄金コンビ片手に読みかけの新聞をめくる。

サンダルの靴音がすぐ側で止まった。

「早河さん、暇?」
『暇に見えるか?』

 有紗を一瞥してから煙草の灰を灰皿に落としてまた咥えた。中腰になる有紗がデスクに両手をついて早河の横顔をじっと見ている。

「煙草吸って、コーヒー飲んでぼぉーっと新聞見て、うん、超ヒマそう」

言葉遣いや言い回しが如何にも女子高生な有紗の声も今では聞きなれた。

『新聞を読むのは大人の常識、煙草とコーヒーは俺のエネルギー源』
「つまりは暇ってことでしょ。ねぇ、お祭り行こうよぉ」
『祭り?』
「この近くの神社でお祭りやってるの! 屋台も出てたし、今日は花火の日だよ。ねぇねぇ、行こうよぉー。一緒に花火見ようよぉ」

 有紗がデスクを回って早河の横に並ぶ。ピンクとゴールドのマニキュアが塗られた有紗の手が早河のシャツを引っ張った。

『祭りねぇ……』

有紗の誘いに気が乗らない彼は煙草の吸い殻を灰皿に捨て、冷めてきたコーヒーを飲み干した。有紗は顔の前で両手を合わせる。

「高山有紗、一生のお願いっ! 一緒にお祭り行って欲しいなぁ」

 正直に言えば大嫌いな夏に苦手な早起きをして午前中から仕事に出掛け、夏の暑さにいたぶられて帰宅した早河は動くことすら億劫だった。
しかし両手を顔の前で合わせてキラキラした瞳をこちらに向ける有紗を無視もできない。

『……はぁ。わかった。一緒に行ってやる』
「やったぁ! 早河さんと夏祭りデートだぁ」
『デートじゃなくて俺は祭りの付き添いの保護者だ』

 有紗の頭を小突くも、彼女は嬉しそうだった。今日はなぎさもいない。
夜に予定している仕事もなく、有紗が言うところの“超ヒマそう”状態だ。退屈しのぎに夏祭りに出掛けるのも悪くはない。

ただ、祭りに一緒に行く相手が女子高生と言うのが……早河には少々厄介なだけだ。
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