早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 帰りたくないと駄々をこねる有紗を車に乗せて彼女の自宅に向かう。

「なぎささんとはどうなってるの?」
『どうって……なぎさとは何もないぞ?』

有紗の口調には棘があり顔も不機嫌そうだ。やはり無理やり家に帰されることを怒っているらしい。

(どうして皆、俺となぎさに何かあると思ってるんだ? 端からは“そう”見えるのか……)

「そっか。何もないんだ。よかったぁ」

 有紗の不機嫌だった顔がパッと明るくなった。早河の一言で不機嫌になったり機嫌を良くしたり、ここまでダイレクトに好意を示されると清々しい。

『着いたぞ』

 有紗の自宅の前で車が停まった。有紗はシートベルトを外しただけで車から降りない。
彼女は助手席から身を乗り出した。有紗の顔が近付いてきたと認識していても、顔をそらさなかったのは早河の理性が本能に負けたからなのか、有紗への優しさなのか。

有紗の唇が早河の唇に押し当てられ、数秒密着して離れた。

「……おやすみなさい」

照れたようにうつむき加減で別れの挨拶を述べた有紗は早河と目を合わせずに車を降り、一目散に家に入って行った。

『……ハァ』

 溜息と疲労が同時に襲ってきて早河はシートにぐったりともたれた。有紗にキスをされた唇に触れる。

(一人前におやすみのキスなんかしやがって)

 少女と女の境目にいる有紗が完全に女となってしまった時、早河に逃げ道はない。
いつまで子供扱いさせてくれる? いつまで逃げていられる?

いつかは有紗を大人の女として扱わなければいけない。その時にきちんと向き合ってやるのが大人の優しさだ。

 女子高生ほど扱いにくい存在はない。

(俺、女子高生がこの世で一番苦手かも……)

 早河仁の苦手なもの。
夏と、早起きと、女子高生。

 探偵と野良猫の駆け引きはもうしばらく続きそうだ。
< 158 / 171 >

この作品をシェア

pagetop