早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 隼人の自宅を飛び出した美月は階段を駆け降りた。サンダルのヒールが段差に引っ掛かって何度もつまずきかける。


 ──“じゃあ美月はどうなんだよ”──


痛いところを突かれた。

隼人が好きなのに心の一番奥にはまだ佐藤がいて、
隼人が好きなのに松田の優しさに甘えて、
隼人が好きなのに隼人を信じられなかった。
隼人を責める資格なんて最初からないのに自分だけ被害者ぶって悲劇のヒロインを気取っていた。

(私達、もうダメなのかな……)

 階段を降りてマンションの一階に辿り着く。エレベーターホールに出た美月は足を止めた。

『俺の方が速かったな』

エントランスで隼人が待っていた。彼は腕組みをして傲岸不遜《ごうがんふそん》な面持ちでニヤリと笑っている。

「……なんで?」
『エレベーター動いてなかったし、階段降りる音聞こえたから』
「エレベーターで先回りしたの?」
『そう。このマンションの住人は滅多に階段使わねぇから、あの時間に階段駆け降りていく奴は美月しかいないと思って。待ち伏せ』

 じっと隼人を睨み付ける美月に構わず、隼人は憎らしいくらいに余裕の笑みを見せた。その余裕綽々な態度が癪に障って腹立たしい。

「……ムカつく」
『ムカつくのはお互い様だろ』
「偉そう! 俺様! ドS! 馬鹿! アホ!」
『悪口は帰ってから聞く』

 彼は精一杯の抵抗を見せる美月の腕を軽々と掴んでエレベーターまで引っ張った。無言のエレベーターの中でも隼人は美月の腕を掴んだまま離さない。

「どうして? ……どうして待ってたのよ……」

美月の小さな呟きも隼人には聞こえているのに彼は答えない。彼は黙ってエレベーターの液晶パネルの表示を見ていた。その横顔は無表情で何を考えているのか読み取れない。

(追いかけて待ち伏せしたりして。リオさんが好きなくせになんでこんなことするの?)

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