早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
美月の許可を得て採取した美月の指紋と現場に落ちていたリップクリームに付着していた指紋が一致し、このリップクリームが美月の物であると断定された。
5月31日(San)午後2時
上野は世田谷区の美月の自宅を訪れた。美月の父親の職業は建築士。この家も美月の父親が設計したらしい。
一戸建ての住宅は吹き抜けのリビングから二階の廊下が見える仕様になっている。
上野がリビングのソファーに座って待っていると二階の扉が開いて美月が姿を見せた。
一階に降りてきた彼女は上野と目を合わせることなく、うつむいてソファーに座った。
『あのメールは俺も見たよ。……大丈夫かい?』
美月の顔には生気がなかった。事件の後から一気に痩せてしまったように見える。
こんな状態の美月を見るのは3年前のあの事件以来だ。
「上野さん……私、柴田先生とは本当に何もないんです。なのに私が先生とホテルに行ったとか書かれて、あの写真もどうして私が写っているのか、もう訳がわからない」
『わかっているよ。美月ちゃん、柴田先生の携帯電話には君と先生の個人的なメールのやりとりが残っていたんだ』
顔を上げた美月の瞳が悲しみに揺れている。
「柴田先生にメールなんて送ってません! 先生のパソコンのアドレスならレポートを送る時に使うので知っていますけど、先生の携帯のアドレスは知らないんです」
『落ち着いて。そのことなんだけどね、そのメールは柴田先生の携帯をハッキングした誰かがメールのデータを書き換えたかもしれないんだ』
「……ハッキング?」
美月は聞きなれない言葉に眉を寄せた。上野はコーヒーを一口飲み、間を置いて話を続ける。
『柴田先生の携帯には数週間前から君宛の送信メールと君からの受信メールがあった。でもそれはすべてフェイクなんだ。実際には君ではない他の誰かとのメールのデータを、君のアドレスのデータに書き換え、君と柴田先生がメールのやりとりをしているように偽装したんだ』
携帯会社に問い合わせをして調べはついている。
柴田の携帯電話に残っていたメールの送受信履歴は別の女子学生のものだ。
その女子学生には今日の午前中に事情聴取を行い、彼女は柴田との親密な関係を認めた。
「私と柴田先生がメールのやりとりをしている風に誰かが作ったってことですか?」
『そう。あと、美月ちゃんと柴田先生の写真は君の顔の部分だけを合成した写真だった』
「合成写真……?」
美月は困惑気味に隣にいる母親と視線を合わせた。
『リップクリームを失くしたのは水曜日頃だったね。その翌日に柴田先生は研究室で殺されている』
「水曜日に研究室には行っていません。だから私のリップクリームがそこに落ちているのは変なんです。あの……私、疑われていませんよね?」
『柴田先生の死亡推定時刻には君はアルバイトをしていたことが確認されている。アリバイがあるんだ。大丈夫だよ』
アリバイが証明されていることが唯一の救いと言っていい。柴田との偽装メールもリップクリームの件も、チェーンメールも合成写真も、すべての悪意の矢印が美月に向いている。
柴田の殺人と例のチェーンメールの関係は捜査中だが、上野は同一犯と考えている。
『明日は学校行くの?』
「はい。怖いけど……行かなきゃ。私は何も悪いことはしていないから……」
『そうだよ。美月ちゃんは何も悪いことはしていない。だから堂々とね。何かあればすぐに俺に知らせるんだよ』
「はい」
無理して笑顔を見せる美月の表情は硬い。明日は月曜日。週末にチェーンメールが広まってから初めての登校になる。
これから先に何が待ち受けているのかまだ誰も予想できなかった。
美月はまだ、何も知らなかった。
5月31日(San)午後2時
上野は世田谷区の美月の自宅を訪れた。美月の父親の職業は建築士。この家も美月の父親が設計したらしい。
一戸建ての住宅は吹き抜けのリビングから二階の廊下が見える仕様になっている。
上野がリビングのソファーに座って待っていると二階の扉が開いて美月が姿を見せた。
一階に降りてきた彼女は上野と目を合わせることなく、うつむいてソファーに座った。
『あのメールは俺も見たよ。……大丈夫かい?』
美月の顔には生気がなかった。事件の後から一気に痩せてしまったように見える。
こんな状態の美月を見るのは3年前のあの事件以来だ。
「上野さん……私、柴田先生とは本当に何もないんです。なのに私が先生とホテルに行ったとか書かれて、あの写真もどうして私が写っているのか、もう訳がわからない」
『わかっているよ。美月ちゃん、柴田先生の携帯電話には君と先生の個人的なメールのやりとりが残っていたんだ』
顔を上げた美月の瞳が悲しみに揺れている。
「柴田先生にメールなんて送ってません! 先生のパソコンのアドレスならレポートを送る時に使うので知っていますけど、先生の携帯のアドレスは知らないんです」
『落ち着いて。そのことなんだけどね、そのメールは柴田先生の携帯をハッキングした誰かがメールのデータを書き換えたかもしれないんだ』
「……ハッキング?」
美月は聞きなれない言葉に眉を寄せた。上野はコーヒーを一口飲み、間を置いて話を続ける。
『柴田先生の携帯には数週間前から君宛の送信メールと君からの受信メールがあった。でもそれはすべてフェイクなんだ。実際には君ではない他の誰かとのメールのデータを、君のアドレスのデータに書き換え、君と柴田先生がメールのやりとりをしているように偽装したんだ』
携帯会社に問い合わせをして調べはついている。
柴田の携帯電話に残っていたメールの送受信履歴は別の女子学生のものだ。
その女子学生には今日の午前中に事情聴取を行い、彼女は柴田との親密な関係を認めた。
「私と柴田先生がメールのやりとりをしている風に誰かが作ったってことですか?」
『そう。あと、美月ちゃんと柴田先生の写真は君の顔の部分だけを合成した写真だった』
「合成写真……?」
美月は困惑気味に隣にいる母親と視線を合わせた。
『リップクリームを失くしたのは水曜日頃だったね。その翌日に柴田先生は研究室で殺されている』
「水曜日に研究室には行っていません。だから私のリップクリームがそこに落ちているのは変なんです。あの……私、疑われていませんよね?」
『柴田先生の死亡推定時刻には君はアルバイトをしていたことが確認されている。アリバイがあるんだ。大丈夫だよ』
アリバイが証明されていることが唯一の救いと言っていい。柴田との偽装メールもリップクリームの件も、チェーンメールも合成写真も、すべての悪意の矢印が美月に向いている。
柴田の殺人と例のチェーンメールの関係は捜査中だが、上野は同一犯と考えている。
『明日は学校行くの?』
「はい。怖いけど……行かなきゃ。私は何も悪いことはしていないから……」
『そうだよ。美月ちゃんは何も悪いことはしていない。だから堂々とね。何かあればすぐに俺に知らせるんだよ』
「はい」
無理して笑顔を見せる美月の表情は硬い。明日は月曜日。週末にチェーンメールが広まってから初めての登校になる。
これから先に何が待ち受けているのかまだ誰も予想できなかった。
美月はまだ、何も知らなかった。