早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
6月3日(Wed)午後7時

 梅雨入りを予感させるじめじめとした湿気のある夜だった。都営浅草線、馬込《まごめ》駅の階段を駆け上がって地上に出た木村隼人は家路を早足で進む。

環七通りから脇道に入ると8階建てのマンションが見えてきた。大学卒業を機に実家を出た隼人はこのマンションで独り暮らしをしている。

 エレベーターを待つ時間も惜しかった。住居のある6階でエレベーターの扉が開き、共有通路を歩いてようやく辿り着いた自宅の鍵を開けた。

『美月!』

玄関で靴を脱ぎながら愛しい恋人の名を呼ぶ。玄関と廊下を隔てる扉が開かれ、浅丘美月が顔を覗かせた。

「おかえりなさい。今ね、ロールキャベツ作ってたの。隼人、ロールキャベツ大好物だから……」

 美月が言い終わらないうちに彼は彼女を抱き締めた。室内には食欲をそそるいい匂いが漂っている。
玄関を入った先にはキッチンがあり、作りかけのロールキャベツが鍋の中に入れられていた。

『お母さんからさっき電話もらった。学校、休学したって?』
「……うん。今日、休学の届けを出してきた」

 抱き合ったまま言葉を交わす。美月はスーツ姿の彼の胸元に顔を埋めた。
今日付けで大学に休学の届け出をした。あのチェーンメールの拡散で学内では美月を誹謗中傷する噂が流れている。

 親友の石川比奈や友人達、松田を筆頭としたサークルの仲間達は美月を信じて守ってくれるが、陰口の標的は美月を守る比奈達にまで及び始めた。

自分のことだけならどれだけ悪口を言われても堪えられる。しかし、大切な友人達を悪く言われるのは我慢ならなかった。

 このまま大学に通い続けるのは精神的に辛く、両親と大学側と話し合った結果、騒動が収まるまでしばらく大学を休学することになった。

「心配かけてごめんね」
『何言ってるんだ。俺の前では無理しなくていい。無理して笑わなくていいから』

 隼人の手で優しく髪を撫でられて、今まで我慢していたものが溢れてくる。美月は隼人の腕の中で嗚咽を漏らして涙を流した。

彼は泣きわめく美月を優しく抱き締め、時には額や頬にキスを落として彼女を慰める。

 泣きながら美月は隼人を求めた。彼女は自分から隼人にキスをする。
隼人は美月の要求に応え、涙の味のする甘いキスを繰り返した。

止まらない欲求が二人を支配する。隼人は美月を壁に押し付け、彼女のスカートをたくしあげた。太ももを撫でていた彼の指が美月のショーツに触れる。

「待って、ロールキャベツ……まだ作ってる途中で……」
『食事の前に、先に私を可愛がってって顔してる』
「そんな顔してないもん」
『そういう顔してるように俺には見えるけど気のせい?』

 涙目になって紅色に頬を染める美月は反論できず、隼人にされるがまま抱き上げられて隣の部屋のベッドに運ばれた。
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