早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 煙草とアルコールの匂いに包まれて、人々は欲の深淵に呑み込まれる――

 新宿のクラブ〈サーカスナイト〉のダンスフロアでは気が狂った人間達が狂喜乱舞していた。

南明日香は二階のカウンター席で酔い潰れている。彼女はテーブルに伏せた顔を上げてカクテルのグラスを握る。
明日香が飲んでいるのはロングカクテル。グラスには青色のカクテルが半分ほど残っていた。

(この後どうしよう。ホテル行こっかなー)

 今夜知り合った男とは気が合い、楽しい時間を過ごせていた。男がトイレに行くと言って席を離れてからどれくらい経っただろう?

下のフロアで躍り狂う野獣達を見下ろして明日香はグラスに口をつける。ゴクリとカクテルが喉を通った数分後、彼女は呻き声を上げてテーブルに突っ伏して息絶えた。

 明日香の苦しみの声も店内に大音量で流れるクラブミュージックに掻き消されて周囲の人間の耳には届かない。

クラブの従業員が明日香の死体を発見して110番通報をしたのは6月7日の23時57分。明日香の心臓が止まった30分後だった。

 明日香は誰にも看取られずに孤独に、最期の瞬間を迎えた。

        *

6月8日(Mon)午前11時半

 上野恭一郎は捜査一課の室内でレンタルDVD店の防犯カメラ映像を見ていた。

日付が8日に変わる寸前に死亡した南明日香の死因は毒殺。クラブで明日香が飲んでいたカクテルから検出された毒物は柴田准教授を殺害した毒物と同じ物だった。

 日曜の夜の混雑するクラブは大勢の人間で溢れ返っていたが、明日香の顔を覚えている者は誰ひとりいなかった。
杜撰《ずさん》な年齢確認で20歳の誕生日前のまだ未成年の明日香を店に出入りさせ、酒を提供していたあのクラブには近々警察の捜査が入るだろう。

 自殺か他殺かの決定は下っていないが、気になるのは明日香の携帯電話のデータが初期化されていた。アドレス帳、通話やメールの履歴、データフォルダのデータもすべてがリセットされてなくなっていた。

自殺ならば死ぬ間際に本人がリセットをかけて初期化したことになる。しかし熱心にブログを更新していたデジタル依存気味の明日香の行為として、携帯電話の初期化は違和感を覚える。
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