早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 千葉県成田市に所在する成田国際空港は今日も大勢の人々が行き交っている。ロビーのソファーに座る貴嶋佑聖は、中国からの到着便を待っていた。

『カナリー。そろそろかな?』
「そうですね。予定通りならもう着く頃です」

貴嶋の隣には沢井あかりが座っていた。彼女の組織での通称はカナリー。英語で金糸雀《カナリア》のことだ。
彼女の手元の腕時計は午後2時を示している。

 ゲートから人が数珠繋ぎに飛び出してくる。人の群れの中で貴嶋はその男を見つけた。男はボストンバッグを持ってこちらに近付いてくる。

男の視線は貴嶋よりも先に立ち上がったあかりに向いたが、すぐに視線を貴嶋に戻した。
彼は貴嶋に恭しく一礼する。

『お久しぶりです』
『3年振りか。少し痩せたかな?』

 サラリとした黒髪に銀縁の眼鏡をかけた男は軽く笑った。貴嶋と男の間には3年の月日など一瞬で埋まる。

『あちらで武術を学んだので体が引き締まったのかもしれません。毎朝、道場で稽古があるんですよ』
『ほう。あちらの武術と言うと拳法?』
『はい。一番名のある流派に弟子入りしました』
『それは頼もしいね。行こうか』

 貴嶋と男、そしてあかりは空港の駐車場に待機する車に乗り込んだ。あかりと男は一言も言葉を交わさない。

あかりは助手席に、貴嶋と男は後部座席に並んだ。滑らかに出発した車内は静かだった。話の口火を切ったのは男の方だ。

『スネークの件ですが、キングは私にどうしろと?』
『さて。君はどうする?』

 貴嶋が微笑んでいる。男は無表情の仮面を崩さずに眼鏡の奥の瞳で前方を見据えた。
助手席のシート越しにあかりの髪の毛が見える。

『私にはどうすることもできません。今の私の立場を作ったのはキングですよ』
『ではどうして日本に戻って来た?』
『それが命令でしたので』
『美月は静岡にいるよ。顔を見に行ってあげたらどうだい?』

 男は沈黙する。この3年間、彼は彼女の名前を忘れたことはなかった。ずっと、想い続けている。忘れられるはずがない。

 貴嶋達を乗せた車は千葉から東京へ、やがて港区の貴嶋の屋敷に到着した。玄関の扉が開いて男のもうひとりの主、寺沢莉央が現れる。

「お帰りなさい。キング、カナリー」

莉央は貴嶋とあかりの一歩後ろにいる男に向けて微笑んだ。

「お帰りなさい。ラストクロウ」
『クイーン。ただいま戻りました』

 犯罪組織カオスの幹部、ラストクロウ。それが彼……佐藤瞬の通称だ。
佐藤は莉央に向けて深々と頭を下げた。



第三章 END
→第四章 乱舞 -チューベローズ- に続く
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