早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 午後の講義の担当講師は柴田雅史准教授。90分間の講義の最中、明日香は片時も柴田から目を離さない。

『それでは各チームで決めたテーマに沿ってマーケティングを進め、来月末のチームごとのプレゼンまでにしっかり準備をしておくように』

 ホワイトボードの前に立つ柴田准教授は教室内を見渡した。彼の視線はいつも美月の席で止まる。美月がどこにいても、柴田は目ざとく美月を見つけ、見つめている。
今日も彼は美月を数秒間見つめていた。

 講義終了のチャイムが鳴り、学生達が席を立つ。

『浅丘さん、このレポートよく書けてるね』

 柴田は教室を出ていこうとする美月を呼び止めた。明日香は一番後ろの席で遠巻きに二人の様子を観察する。

プリントを持ってさりげなく身体を美月によせる柴田に対して、美月は苦笑いを浮かべて後退りしていた。

『浅丘さんはチームリーダーだから大変だろうけど頑張ってね。何かあればいつでも相談して』
「はい。ありがとうございます」

 美月が教室から出ていったのを確認した明日香が席を立つ。階段教室の段差を一歩ずつ降りて、前方の柴田に近付いた。
教室にいるのは明日香と柴田の二人だけだ。

「せーんせっ」
『明日香。さっき居眠りしてたよな?』
「してないよぉ。先生の講義で寝るわけないでしょ?」

二人きりだからこそできる親密な会話。明日香は背伸びをして柴田にキスをした。

『こら。学校ではダメだっていつも言ってるだろ』
「いいじゃない。誰もいないよ」
『次の講義遅れるぞ』
「次は休講になったの。ねぇ、さっき浅丘さんと何の話してたの?」

美月の名前が出ると柴田の顔つきが変わった。その変化に明日香の心がざわめく。

『浅丘さんのレポートの出来を褒めていたんだ』
「へー。浅丘さん成績いいもんね」
『明日香も浅丘さんを見習って提出物の期限守れよな。今日のレポート、出してないのは明日香だけだぞ』
「私だけ特別免除ってことにしておいてよ。彼女の特権」

 明日香は舌を出して笑うと、椅子に座る柴田の膝の上に乗った。

 絶対にあげない。絶対に浅丘美月に先生はあげない。

(先生は私のもの。私だけのものなのよ)

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