異世界シンママ ~未婚のギャル母に堅物眼鏡は翻弄される~

12.夢


「ユンユーン、来たよー」

 夕食が終わり、有那は隣のユンカースの部屋の扉をノックした。
 アパートの3階にある有那たちの部屋とユンカースの部屋は隣り合ってはいるが、玄関は離れているため鉢合わせたことはない。有那が扉の前で待っていると、内側からガチャッとドアが開く。

「おいーっす。……って、おわ。セクスィ」

「……?」

 簡素な私服に着替えたユンカースは髪が湿っていて、それをタオルで拭いていた。突然の湯上がり姿に有那が目を瞬くと、ユンカースは怪訝に目を細める。

「すみません、湯を浴びた後で」

「いや、いーよ。そういう時間だし。むしろごめん、あたしが汗臭いかも」

「いえ、別に……。……あの、カイトはどうしたんですか?」

「ん? 置いてきたよ? お絵描きするって言うから」

「そう、ですか……」

 一人で来た有那を見てユンカースが歯切れ悪く答える。時刻はすでに夜で、隣人とはいえ女性を一人で部屋に招いて良いのだろうかとユンカースは迷ったが、有那はまったく気にする様子もない。
 ユンカースも気持ちを切り替えると有那を室内へと招いた。

「お邪魔しまーす。……おおー、なんかいい匂いする」

「そうですか? 特に食べ物は置いてませんが……」

「いやそういうんじゃなくて。食いしん坊かよ。これハーブ? なんかスッキリした感じの……いい匂い~」

「ああ……。陛下に香袋を頂いたので、それかもしれません」

 ユンカースの部屋は、清涼感のある草のような香りがほのかにした。有那がクンと鼻を動かすとユンカースは居心地悪そうに足を進める。

「人の家の匂いをあまり嗅がないでくださいよ……」

「なんで。ちょーオシャンな物くれるじゃん、王様。へー、うちと造りが逆なんだ」

「そうですね。僕はここを書斎として使っています」

「うわっ……本すっごい」

 有那宅ではリビングになっている部屋に足を踏み入れると、天井までびっしりと壁を埋め尽くす本棚、そしてそこに詰められた大量の書物の数々に有那は声を失った。
 本の森のようなその部屋の真ん中でユンカースが振り返る。

「ここだけでは収まりきらないので、城の書記官控え室にもかなりの量を持ち込んでいます。ミネルヴァさんにもこれ以上増やすなと言われて……」

「マジかー。え、これ床抜けない? 下のミネルヴァさんち大丈夫? てかここって地震ないの?」

「見てもらいましたが、頑丈に造ってあるので大丈夫だそうです。地震……過去の文献を読んでも、この国では大きいものが起こった記録はないです」

「そうなんだ。ちょっと安心」

 特に制止はされなかったので、有那はユンカース所蔵の本をいくつか手に取ってみた。
 パラパラとめくってみても、もちろん内容は分からない。挿絵がある本も地図だったり動物だったり歴史上の人物っぽい肖像画だったりとジャンルがバラバラで、おそらく様々な分野の専門書なのだろうと推測された。

「すごいね……めっちゃ努力家じゃん」

「さあ……。面白いと思ったものを、手当たり次第に読んできただけなので。ええと――あ、これです」

「ん?」

 ユンカースが本棚の一角から数冊の本を手に取り、部屋の片隅にある机の上に置いた。他の重厚な専門書とは異なり、明るい色で薄いそれらは表紙に何やら楽しげな絵まで描かれている。

「んん? 絵本?」

「いえ、幼児向けの語学書です。昔、僕が使っていたもので……なかなか捨てられなくてなんとなく持っていたんですが、あなたとカイトに差し上げます」

「え。そんな大事なもの、いいの!?」

「使ってくれる人のところに行った方が、本も幸せでしょうし。分かりやすくていい本ですから、それを教科書代わりにしましょう」

 無表情で子供向けの本をめくるユンカースとその本とを見比べ、有那はぽかんと問いかけた。

「えっと……それって、あたしにも文字教えてくれるって認識で合ってる?」

「……? 当たり前じゃないですか。でなきゃ自宅に呼んだりしませんよ。他に用事もないのに」

「いや分かりづらっ! あと辛辣! 言いたいことは分かるけど、もうちょっと言い方〜」

 相変わらず言葉の足りない彼にツッコミを入れると、ユンカースは何を言ってるんだとばかりに眉をひそめた。感情が読めないようで意外と分かりやすいその顔に、有那は思わず苦笑する。

「まあいいや。ありがと! よく考えたら字が分からんと仕事上いろいろ困るもんね。教えてもらえるのマジ助かる」

「別に……。あなたの生活が自立しないと、僕が困るんですよ。一応国から預かっている身ですから」

「それなー。ユンユン、面倒事しょいこんじゃって。あのとき無視してバイバイすれば終わりだったのに、声を掛けたばかりに巻き込まれちゃって……。絶対面倒なのにほっとけないなんて、優しーね」

「…………」

 有那が笑いかけると、ユンカースは意外そうに小さく目を見開いた。有那の笑顔からふいと目を逸らし、眼鏡をクイとかけ直す。

「僕は優しくなんてないですよ。愛想良くするのも苦手ですし、言葉足らずだとよく陛下やミネルヴァさんにも言われます」

「言葉ちょっと足りんのは否定しないけど、愛想悪くても別にいいじゃん。ユンユン、真面目だし裏表ないから信用されてるんでしょ? ちょっと付き合えばそれぐらい分かるよ。全員に好かれなくても、周りの人に分かってもらえれば十分じゃん? あたしだったら誰にでも愛想いい人よりは、不愛想でも信用できる人の方がいいな」

「…………」

「それにユンユンが優しくないとかマジないわー。他人にタダで何かをしてあげてる時点でめっちゃイイ人じゃん」

 有那が断言すると、ユンカースはもう一度眼鏡を直した。不自然なほどそこに手をやる姿に有那は思わず微笑む。……分かった、これは照れ隠しだ。

「……変な人ですね」

「よく言われるー」



 今後のスケジュールを聞いたあとも本棚を興味深く眺める有那に、ユンカースはその中身の内容を簡単に説明してくれた。所有する本は様々なジャンルに及んだが、歴史に関わるものが最も多かった。

「ユンユン、歴史好きなの?」

「好きというか……一番興味を引かれます。国の成り立ちや他国との関わりの変遷を紐解いていくと、今ある技術や文化がどこから来たのか分かりますし……。あとは現在の自分の仕事――書記官として記録を残すことが、後世にこういう風に伝わっていくのだと参考になります」

「へー。……お、これめっちゃ立派だね。なんの本?」

 有那は本棚に収められた、ひときわきらびやかな一冊の本を手に取った。分厚いそれは他の本とは使われている文字が異なっている。

「それは、外国の辞書です。陛下に頂いたもので……この国に一冊しかない貴重なものです」

「えっ。マジで!?」

「はい。それはこのソムニウム大陸で一番使用人口が多い言語の辞書で……地理的に遠いので今はこの国とは国交のない国ばかりですが、将来的には他国との交易はもっと盛んになると思うんです」

「うん、まあ文明が進めば移動は楽になるよね」

「そうなると、おそらくその言語が大陸の共用語になると思います。だから僕は、この国のことについてその共用語で伝える準備が必要だと思っていて――」

 珍しく饒舌になったユンカースが辞書をパラパラとめくる。有那がそれを眺めていると、その視線に気付いたようにユンカースがはっと手を止めた。

「すみません。こんな話、興味ないですよね」

「なんで。そんなことないよ? じゃあユンユンは、その言葉でこの国のことを他の国に伝えたいんだ」

「え――」

「ん? 違うの? あ、歴史かな? ユンユンがいずれやりたいみたいに聞こえたけど」

 有那の言葉にユンカースが目を見開く。彼はしばらく有那の顔を見つめると、確かめるようにつぶやいた。

「そう…ですね……。僕は、この国のことを他の言語で伝えたい。いえ、後世に書き残しておきたい。僕たちが今、過去の記録に助けられているように――後の世の人の役に立つように」

「おっ。じゃあそれがユンユンの夢じゃん。いいね!」

 親指を立ててにっと笑った有那をユンカースが見つめ返す。彼は辞書に手を置くと静かにつぶやいた。

「夢なんて初めて言われました……。なんとなく思い描いていただけなのに、言語化されてしまうと……やらないわけにはいかなくなったじゃないですか」

「え。もしかして余計なお世話だった!?」

「いえ。やる気が出ました。仕事と並行なので歩みは遅いでしょうが、まずはこの言語をある程度自分のものにして――」

「うんうん。じゃあこの本はユンユンの宝物だね。大事にしないとね!」

「宝物――。……そうですね」

 ユンカースが辞書を持ち上げる。その唇がわずかに綻び、初めて見る彼の笑顔に有那は目が釘付けになった。

「笑うんだ……」

「は? 何か言いました?」

「いやなんでも。……あっ、そういえばさー。うちにもあるけどこの扉ってなんなの? 異世界への扉?」

「は……?」

 大変珍しいユンカースの微笑に見とれてしまったのがなんとなく気まずくて、有那は強引に話題を転換した。本棚の間に埋もれている扉を指さすとユンカースが怪訝に目を細める。
 その扉は有那の部屋にもあり、隣室があるのかと思ったら扉の向こうはまた閉じられた扉だった。謎の構造に首を傾げると、ユンカースはその扉の鍵を開けて手前に引く。

「何をおかしなことを。……繋がってるんですよ、あなたの部屋と」

「え。……あ、あー! そういうこと!」

 有那はコネクティングルームというものを知らなかった。廊下に出なくても部屋同士で行き来できるあれだ。

「ユンユンの扉の方、鍵かかってるから全然気付かなかったー。へー、ホテルでもないのになんでこんな造りにしたんだろ?」

「ホテル……宿ですか? さあ、なんででしょうね。家族でも住めるように、という意図があったのかもしれませんが」

「やばっ。ユンユンちの鍵が開いてたら夜這いできちゃうじゃん」

「!?」

 けらけらと笑った有那にユンカースが目を剥いた。有那はそんな彼を見るとナイナイと手を振る。

「うそうそ、冗談だって。そんなドン引きせんでも」

「あなた……危ない人ですね。そういう発言、誤解されるからやめた方がいいですよ」

「はーい」

 身を引いたユンカースが心底呆れたように言う。有那は肩をすくめると、ユンカースにもらった語学の教科書とお手製の予習セットをひらひらと振った。

「それじゃ、明日からよろしくお願いしまーす。ユンカース先生っ!」

「気が萎えるんでやめて下さい……」


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