異世界シンママ ~未婚のギャル母に堅物眼鏡は翻弄される~
14.無自覚
ユンカースがやけくそのように告げ、有那はぽかんとイケオジを見下ろした。彼は紹介されるのが当然というような様子で顔を上げ、鷹揚な笑みで有那を見つめ返す。
「……うそだぁ」
「こんな馬鹿みたいな嘘をつくほど僕は暇じゃありません」
苦々しい顔でそう言われ、有那は改めてイケオジ改め、国王らしき男――アステールを見下ろした。
「というわけだ。もう少し、いち客としてそなたと忌憚なく話をしたかったのだがな。ユンカースよ、帰ってくるのが早すぎるぞ。もう少し仕事をしてこい」
「お言葉ですが本日分の仕事はもちろん、明日の分も先取りして済ませてきました。『恵みの者』の動向に気を配れと命じてきたのは陛下ですが」
ひざまずいたユンカースと腰かけたアステールが静かににらみ合い、有那はそろそろと手を上げた。
「あのー。ちょい待って。じゃあこの人が王様で――。いや待って!? こんな街中の食堂に一人で来るの変じゃない!?」
「そう。この方、変なんです! 護衛はどうされたのですか! まさかお一人で来られたわけじゃないですよね!?」
目を剥いた有那につられてユンカースも険しい顔で叫んだ。アステールはというと、涼しい顔でクイと顎を上げる。
「当然だ。店の外に護衛を配置してある。ユンカースを通して余が誘ったのにアリナが城には来ぬというから、様子を見に余の方から来てみただけだ。まあ、そのおかげでそなたらの普段の様子――というか、珍しいユンカースの姿が見れたがな。そなた、すっかり心を掴まれているではないか」
「掴まれていません。この人が馴れ馴れしすぎるんですよ!」
「あー。またそういうこと言う~。ちくちく言葉、良くないよー? ふわふわ言葉にしよ?」
「なんですかそれは。頼むからあなたは黙っててください! 話がややこしくなる!」
ユンカースが額を押さえ、キャパオーバーというようにうなだれる。そんなユンカースをアステールが鼻で笑った。
「青いな、ユンカース。……さて、アリナよ。ここでの生活はどうだ? ユンカースは仕事はできるのだが言葉が足りなくてな……。何か困っていることはないか?」
「あ、はい。いや、特にないっていうか……ユンユン、めっちゃ親切にしてくれてますよ?」
「ほう」
「あの、ユンユンって呼ぶのやめてくださ――」
「ユンカース! そなた、やればできる男だったのだな」
「……はあ」
決死の制止をあっさり振り切られ、疲れた様子でユンカースが肩を落とす。そんな彼は放置して、アステールは好奇心の滲む瞳で有那を見上げた。
「そういうわけでアリナよ。少しここに座るがいい。そなたの時間をしばし余に分けてくれ」
「はあ。まあ他にお客さんいないからいいですけど……。他の人来たらあたし行きますからね? 事業始めるまではここクビになるわけにいかないんで」
「アリナさん!」
「良い良い。そなたはまた、遠慮がなくて面白いな」
ユンカースの注意を無視して有那を隣の席に座らせると、アステールはしげしげと有那の顔を見つめてきた。その遠慮のない、しかし不快さも感じさせない不思議な視線に有那は目を瞬く。
「そなたもまた、常とは異なる魅力がある女人だな。その気の強そうな瞳と言い、物怖じしない態度と言い、たくましくて好ましい。それにとても美しい髪だな」
「はあ、ありがとうございます。あの……あたし、もしかして口説かれてます?」
「アリナさん! 図々しいにもほどがありますよ!」
思ったことを率直に言っただけなのだが、ユンカースからまたしてもお叱りの声が飛んだ。そんな有那にアステールは目を瞬くと、大きく口を開けて破顔する。
「ふっ……。はっはっは! その通りだ、アリナよ。理解が早くて助かる。どこかの若造とは大違いだな。……余はそなたを気に入った。どうだ、余の側妃になる気はないか? 母子ともども歓迎するぞ」
「陛下!?」
アステールの言葉にユンカースがぎょっと顔を上げた。有那はその自信に満ちた顔をぽかんと見つめ返すと、苦虫を噛みつぶしたように顔をしかめる。
「あの、ユンユンに前聞いたんですけど、王様たしか奥さん4人いるんですよね? あと子供がたくさん」
「ああ。第5夫人の座ならいつでも空けてあるぞ」
「うっわ……。嫁さん5人目とかないわー。マジないわー。しかも王様、歳いくつです?」
「45だな」
「あたし25です。20歳差とかマジないです。下手したら娘じゃん」
「アリナさんっ!」
度重なる有那の暴言に、そばで聞いていたユンカースは青くなった。
いくらここが私的な場でアステールが鷹揚な性格だとはいえ、とんでもない不敬だ。下手したら有那、ひいては彼女を監督する立場の自分の首すら危うい。
発言を撤回させようとユンカースが前に出るより早く、有那は両手を合わせるとぺこっと頭を下げた。
「王様、ごめんね。あたし、もう大事な男がいるんで。他の男には目移りしないんです」
「ほう? 余より先にそなたの心を奪った者がいるのか。それは興味深い。まさか、そこの青二才ではあるまいな」
「アオニサイって野菜は知らないけど、あたし、息子が一番大事だから。王様と血の繋がりもないのにお城になんて入っちゃったら、立場的に微妙だしカイトが絶対大変でしょ? あたしの考えだけで、わざわざ苦労させられないです。そうでなくても今まで贅沢もさせてあげられなくて、やっと今生活が落ち着いてきたのに」
表情が乏しいので分かりづらいが、海渡はああ見えて繊細な子だ。これ以上環境が激しく変わるのは、彼にとって大きな負担だろう。
母の顔できっぱりと断った有那に、アステールとユンカースが目を見開く。
「それに、王様のところに行っても王様の一番になれないでしょ? あたし、二番目も三番目も嫌。お前が一番で他はなし、じゃなきゃ絶対イヤ。王様が立場的に一夫多妻なのは分かるけど、あたしは無理。です」
「そなたは一番を息子と決めておるのにか? どうあがいても男は二番目以降ではないか」
「あははっ。まあ、それは『二番目でもいいよ』って男が現れたら考えます。今のとこ別に困ってないし」
王の指摘をからりと笑い飛ばし、有那は立ち上がった。他の客が来たからだ。
「そーいうわけで、ありがとうございました! あたし行きますね。……あ、ユンユン。王様と一緒にご飯食べる?」
「いえ結構です」
「即答かよ。分かったー。いつもの方に持ってくね」
手を振って有那が厨房へと戻っていく。それを見送り、ユンカースはおそるおそる主君の顔を窺った。
「あの……大変失礼しました。すみません、あの人この世界の身分制度とかまだよく分かってなくて、事の重大さも理解してないんです。ですからどうか寛大なお心で――」
「たわけ。このようなことを処罰などするか。ああまですっぱり断られては、いっそ清々しいほどだ。なに、ほんの冗談だしな」
「冗談であのようなことをおっしゃらないで下さい」
面白そうに有那を眺めるアステールの姿に、ユンカースはどっと疲労を感じた。……良かった。一歩間違えたら職を失うところだった。
(本当にあの人は……! ハラハラして仕方ない!)
同じ店内にこの国の最高権力者がいるというのに、まるで気にせず他の客を接客する有那になんともいえない焦りが込み上げる。自分が今どれだけ危ない橋を渡ったのか、まるで気付いていないのだ。
(ああ、あんな能天気にヘラヘラして――。ちょっと笑顔が過剰なんじゃないか? あの客、絶対アリナさん目当てだろ……)
「ユンカース」
「…………」
有那に料理を勧められ、緩んだ顔で応える常連の男性客に小さな苛立ちを覚える。有那が背を向けるとそのちらりと覗く細い腰を目で追っているのが分かり、ユンカースの不快感はさらに募った。
「ユンカース」
「はい? ……っ、すみません。なんでしょうか」
険しい口調で返答してから、はっと我に返った。見ると、アステールがニヤニヤと見上げてくる。
「そなた……。自覚ないのか?」
「はい?」
「いや、良い。くくっ……本当に面白いものが見られた。さて、そなたにも断られたことだしそろそろ帰るとしよう」
アステールが立ち上がり、帰り支度を整える。彼は慣れた様子で銅貨を取り出すと厨房のミネルヴァに声をかけた。
「ミネルヴァ! 久しいな。たまには城にも顔を出せ。会いたがっている奴らがたくさんいるぞ」
「えっ…!?」
「ふん。あんな堅っ苦しいところ、二度とごめんだね。お前さん、忍ぶつもりがあるんならもっと目立たない格好で来な! 相変わらず無駄に派手すぎるんだよ!」
「国一番の美男子だからな。仕方あるまい」
旧知の仲のような軽口の応酬にユンカースはぎょっと目を見開いた。ミネルヴァの謎の交友関係に二人の顔を見比べると、彼の主君は得意げに笑った。