異世界シンママ ~未婚のギャル母に堅物眼鏡は翻弄される~
18.王都の歩き方
「おーし、そろそろ終わりにするか。アリナ」
「はーい。……ありがと、エルバ」
有那が異世界に来て2か月あまりが過ぎた。ローレルによる乗馬講習も佳境に入り、よくしつけられた牝馬から降りると有那はその背を撫でる。
「基本的な技術はもう大丈夫そうだな。街乗りもしたし」
「やった。仮免ゲットー」
「まーだーだ。あとは実際に荷物を載せて運んでみて大丈夫か確認しないとな。食品なんだろ? 馬上は結構揺れるぞ」
「それなー。ミネルヴァさんのお得意様回って、プレ営業でもしてみるかぁ……。ご飯崩れたらやだもんね」
調子づいたところでローレルに釘を刺され、有那は肩をすくめた。帰り支度をしていると声をかけられる。
「あんたんとこの店、靴屋の2軒先だったか?」
「うん、そう。レンガ造りの3階建て。マジで美味しいから良かったら食べに来て。あたしも少し作ってるし」
「了解。なんか奢ってくれよ」
「おけまるー」
色男との軽いやり取りを済ませると、有那は王都中心部の侯爵邸へと急いだ。壮麗な門を抜けて別邸の扉を叩くと、保育室の職員であるマウラが顔を出す。
「おかえりなさーい。あ、ちょっと今、取り込み中で……」
「……?」
有那が室内を覗き込むと、ちょうど海渡と目が合った。「かーちゃん」と呼んで立ち上がるが、後ろから引っ張られて海渡がバランスを崩す。
「カイト、かえっちゃいやー! ミリアとあしょぶのー!」
「……ありゃ」
海渡を必死で引っ張っているのは、海渡より少し幼い女の子だった。金髪の巻き毛でなかなかの美少女だ。
その幼女に引っ張られた海渡は少し困ったような顔で有那を見る。
「なんでー!? ミリア、カイトのことだいしゅきなのにぃ!」
「あらあら、まあまあ」
思いがけない息子へのラブコールに有那は一瞬で頬が緩んだ。同じく微笑んだマウラがそっと耳打ちする。
「……カイトくん、実は女の子にモテモテなんですよ。優しいし、誰とも仲良く遊んでくれるから」
「えーっ。やっぱり〜!? あたしもそーなんじゃないかと思ってー!」
ここで「そんなことないですぅ」と謙遜しないのが有那だった。我が子が褒められたのなら喜んで受け取っておくべきだ。
「でもそろそろ帰らないとですね。私が説得しますから――」
「……ミリア。オレもミリアのことは好きだよ」
「あら?」
マウラの仲裁が入るより早く、海渡がミリアの両手を握った。涙目の幼女に言い聞かせるように海渡が優しく告げる。
「でも、家に帰ってご飯食べて寝ないと、オレもミリアも大きくなれないから。ミリアももう少ししたらかーちゃん来るだろ? また明日遊ぼう」
「……やくしょくする?」
「うん、約束する。また明日ね」
ミリアの手をぎゅっぎゅと握って海渡がバイバイする。最後はミリアも笑顔になり、その光景を有那とマウラは悶絶して見ていた。
「女殺しかよ……! うちの子がイケメンすぎる!」
「すごいですよね……! あーうちの夫にも見習わせたい」
キャイキャイと盛り上がる母たちを尻目にさっさと帰り支度を整えた海渡を連れ、有那は気分良く帰路についた。少し遠回りして、お菓子でも買ってあげたい気分だ。
「あ……。ユンユン」
「ん? あ、ほんとだ。ユンユーン!」
寄り道していつもと違うルートで帰ると、アパートの近くでユンカースに遭遇した。仕事帰りの彼は、有那と海渡に気付くと小さく手を上げる。
「おつー。……なんか大荷物だね? 何その長いの」
「お疲れ様です。これはちょうど、あなたに差し上げようと城から持ってきたもので――」
ユンカースの鞄から、白い筒状のものがのぞいていた。それを引き抜いてくるくると広げると、羊皮紙に描かれた――
「……街の地図? え、すごい。こんなのあったんだ」
紙一面に、王都の詳細な地図が描かれていた。ユンカースは感心したようにうなずく。
「ああ、やっぱり読めるんですね。市井の方はあまりこういった正確な地図は使わないので……」
「え。じゃあこれも貴重なものってこと?」
「原本は貴重ですが、これは写しを頼んだものなのでそれほどでもないです」
「…………」
しれっと言われたが、こんな立派な紙に描かれているものが貴重でないわけがない。有那はしみじみとつぶやいた。
「わざわざ頼んでくれたの……?」
「っ……。一応これも、仕事の一環ですから。地図がないと、あなた土地勘がないから困るでしょう」
「そっかぁ……。ふふ、ありがとう」
照れ隠しのような台詞に有那が笑いかけると、ユンカースは眼鏡を押し上げた。
「ちょうどまだ明るいですし、照らし合わせてみたらどうですか?」
「あ、そうだね。えっと……」
ユンカースのおかげで読めるようになった文字をゆっくりと追っていくと、有那はきょろきょろと辺りを見回した。気付いたユンカースが角の建物の上を指差す。
「アリナさん、見えますか? あの上の方のタイル。角にある建物には、必ず通りの名を示す銘板がついてるんです」
「あ、ほんとだ。えーと、デュラ――」
「ここですね」
ユンカースが地図を覗き込み、タイルに書かれているのと同じ文字を指し示す。二人の頭がコツンとぶつかり、有那は慌てて顔を上げた。
「あ、ご、ごめん!」
「いえ、別に――。どんなに小さな通りにも必ず名前がありますから、地図と照らし合わせると場所が分かります」
「そ、そっか。なるほどー」
反応が過剰だったのを、ユンカースは変に思わなかっただろうか。有那が見上げると、彼は変わらぬ顔で説明を続ける。
「ここはデュラール通り。そして交差しているのがタスクント通り――我々のアパートが建つ通りです」
「へー。なんだぁ、分かりやすっ」
「番地を特定するのには少しコツがいりますが……通りを探していけば必ずたどり着きますから」
ユンカースはしゃがみ込むと、地図とタイルの文字が一致していることを海渡にも説明する。海渡が地図を読むのはまだ先だろうが、習ったばかりの文字を見つけて興味深そうに聞いている。
「いいなあ……」
「え?」
「んーん、なんでもない。そろそろ帰ろっか!」
それが海渡に対するものなのか、それともユンカースに向けて発せられたものなのか、有那自身もよく分からなかった。
「ミネルヴァさん、ただいまーっと。……あれ?」
「よう。お邪魔してるぜ」
「ローレルさん。……ウケる、そっちの方が早く来てるし。今日来るなら来るって言ってよー」
「悪ぃ。急に予定が空いたからな」
アパートに帰り着くと、すでに開店している食堂のカウンターにローレルが座っていた。有那に気付くと片手を上げる。
「あんたのメシも、食いに来た。ほらほら、手伝いするんだろ。準備準備」
「ちょ、あたし今帰ってきたばっかなんだけど!」
「ボウズの面倒は見ててやるからよ。ほら座れ。甘いもんでも注文してやろうか」
「え……。いいの?」
「あーちょっと! カイト、ご飯前なんだから食べ過ぎないでね!」
「気にすんな。俺が甘党だから食べたいだけだ」
ギャンギャンと賑やかなやりとりが続き、ユンカースは疎外感を覚えて無言で立ち去ろうとした。すると、ローレルに背後から呼び止められる。
「兄ちゃんも座れよ。久しぶりだな。一緒にメシ食おうぜ」