異世界シンママ ~未婚のギャル母に堅物眼鏡は翻弄される~
22.生きる力
「……すみませんでした」
「えっ。なに」
再びの謝罪に有那は目を見開いた。ユンカースは後悔の滲む表情で低く絞り出す。
「言いたくなかったことを……言わせました。あなたの傷を、掘り起こさせるようなことを――」
「…………。いいよ。一人で墓まで持っていく秘密のつもりだったんだけどね。知っててくれる人がいるって、少し……安心する。……あ、でもカイトには――」
「もちろん言いません。……僕も、墓まで持っていきます」
「真面目かよ」
嘘偽りのないだろう、真摯な言葉に有那は苦笑した。ユンカースは少し沈黙すると有那に問いかける。
「僕が――男が、怖くはないんですか? 前に触れたとき、驚いてましたよね。あれは怯えじゃないんですか」
「……あー。気付かれてたか……」
ユンカースに抱きとめられたとき、そして先ほど手首を掴まれたとき、有那はたしかに過剰に反応した。じり、と身を引くユンカースを引き止めるように口を開く。
「正直……最初は怖かった。元のあたしに戻りたくて、5年かけて克服してきた…って感じかな。あいつはクソ野郎だったけど、男がみんなそうなんじゃない。社長とかユンユンみたいな人もいるのに、会う人会う人みんな疑って生きるのはやだよ。人間、半分は男なのに」
有那は遠くに置かれたユンカースの手を取った。ユンカースの方がビクリと肩を波立たせる。
「自分から触れるのは、大丈夫なの。目的があって触られるのも平気。ただ、急に触れられるとびっくりしちゃうだけ。……怖いんじゃない、ほんとに」
ユンカースが有那に向き直り、そろそろともう一方の手を伸ばした。空いている有那の手を、そっと握る。
「……っ」
「怖い……ですか?」
「ううん。ただちょっと……恥ずかしい」
深夜に誰も見ていない中庭で手をつなぎ合っている。有那の手もほんのり熱くなったが、ユンカースの手も少し汗ばんでいた。
顔を上げると、至近距離で目が合う。二人は弾かれたようにパッと手を離した。
「――とこんな感じだから、そんな心配しないで! ユンユン手ぇ大きいね!?」
「は、はい。分かりました。あなたの手は……小さいですね」
「そりゃなー。これだけ身長差があればそうなる――」
離れた手のひらを見下ろし、嚙みしめるようにユンカースがそれをゆっくりと握りしめた。
彼はしばらく沈黙すると、意を決したように顔を上げる。そして背後に置いていた紙を広げた。
「あなたが、先ほど持ってきたこれですが――」
「え。ああ、ポスター? ごめん、持ってきてくれたんだ」
急に話題が切り替わり、有那はきょとんと目を瞬いた。ユンカースは渋い顔をすると慣れない筆跡で書かれた字を指さす。
「つづりが間違っています。ここと、ここと、あとここも。これなんて文字が左右逆です」
「え。ええー!? ダメダメじゃん! ユンユンのくれた教科書見ながら頑張ったんだけどなー」
これではとてもじゃないが掲示できない。一から書き直しかと有那がしょんぼりポスターを受け取ろうとすると、ユンカースはそれを自分の方へと引き寄せる。
「……僕が書きます」
「え?」
「こういうのには、人を惹きつける文言が必要です。今まで誰もやったことのない事業ならなおさら。僕は言葉足らずですが……文章を考えるのは専門なので得意です。僕にやらせてください」
真剣な顔で懇願され、有那は戸惑った。たしかに自分の下手くそな字よりも、ユンカースが書いた方が見栄えもするし伝わりやすいだろうが――
「やってもらえるならすごく助かるけど……いいの? 1枚だけじゃなくて何枚も書くんだよ?」
「大丈夫です。僕、仕事は早いので」
「おお……すごい自信。じゃあ、お願いします。紙は今度渡すから」
「はい」
心なしか満足げにユンカースがうっすら笑った。それを見た有那は自然と唇がほころんだ。
「やっぱりユンユンが一番頼りになるね。ユンユンはあたしのヒーローだよ」
「……ひーろー、とは」
「うーん、英雄? 一番カッコよくて頼もしいって意味かな」
「……っ」
笑いかけた有那にユンカースの頬がさっと染まる。ユンカースはゆっくりと眼鏡を直すと、有那に向き合った。
「……もっと頼って下さい」
「え?」
「あなたは強い人です。元の世界でも、この国でも。つらいことがあっても、乗り越える力がある。でも……一人で頑張らないでください」
ユンカースの金の瞳が熱っぽい真剣味を帯びる。その力に有那は射すくめられた。
「悩みがあったら話して下さい。僕は話も上手くないし、あなたの悩みや感情に完全に寄り添うことはできないかもしれませんが……ただ聞くことならできます。あなたのわけの分からない言葉も、僕なら解読して理解できます。鬱陶しい絡みも耐性ができましたし」
「ちょ……。いい話だなーって聞いてたのに、最後ディスってんじゃん!」
「事実です」
表情も変えずにそう言われ、有那は言葉に詰まった。ちょっとだけ――ほんのちょっとだけドキッとしたのはなんだったんだ。
気を取り直すように髪をかき上げると、ユンカースがとどめのような一言をくれた。
「僕は、あなたが生きる力になりたい。……僕を頼って下さい、アリナさん」
「……ッ!!」
「それじゃ僕は戻りますね。おやすみなさい」
ポスターを片手にユンカースが去っていく。あとに残された有那はもう一度膝を抱えると、カーッと熱くなった頬を両手で押さえた。
(え……。え!? 今のなに!? なになにナニ……!? あたしの生きる力にって――。え!?)
真剣な声。熱っぽい金の眼差し。優しく触れた大きな手と、温かな――
「……っ! 不意打ちかよ……」
初めてかもしれない胸の高鳴りに心が締め付けられる。口を押さえたまま、有那はベンチに突っ伏した。