異世界シンママ ~未婚のギャル母に堅物眼鏡は翻弄される~
26.惹かれ合う心
「…っ!?」
「…………」
触れた唇は、見た目の通りに薄かったが温かかった。無言でそっと唇を押し付けると目を見開いたユンカースのそれが震える。
「アリナ、さ――」
「…………。えっ……」
掠れた声が間近で響き、有那ははっと我に返った。目を見開いて飛び退くと、驚愕して口を押さえる。
「え!? あ……!? ごっ、ごめん!!」
「あの――」
「ごめん! あたし何やってんの……!? 同意もないのにキスするとか痴女じゃんね! ホントごめん――」
久々のアルコールで頭がぼんやりして、理性が飛んでいた。まさか、自分の方が同意なしに手を出すなんて。
有那はガタッと立ち上がると取り繕うように笑った。
「やっぱ飲みすぎたみたい。ごめん、あたし先に戻るから――」
「……アリナさん」
踵を返そうとした有那の手をユンカースが掴んだ。彼もまた立ち上がると有那の前に立つ。
見上げると、ユンカースは何かをこらえるような顔で有那の頬に手を伸ばした。数度そこを撫でると、金の目がゆっくりと近付き――唇が重ねられた。
「……っ!」
「…………」
ユンカースの口付けもまた、有那と同様に静かだった。しばらく無言で唇の表面を押し当てられると、角度を変えてまた重ねられる。
はじめこそ目を見開いていた有那もゆっくりと瞳を閉じると、ユンカースの無言の口付けを黙って受け止めた。驚愕に固まった手をそろそろとユンカースの胸に添えると、上からぎゅっと握られる。
そうして静かで長いキスが終わると、二人は見つめ合い、ユンカースが有那を抱きしめた。
「……好きです」
「え――」
「あなたが好きです。……アリナさん」
「……っ」
耳元で低く響いた声に有那は顔を上げた。見上げると、ユンカースは熱っぽい目で有那を見下ろしている。
「な……、なんで?」
「なんでと言われても」
「だってあたし、子供いるし……。絶対ユンユンのタイプじゃないでしょ?」
彼の言葉が信じられなくて問うと、ユンカースは不快そうに眉をひそめた。
「たいぷ――好み、ですよね。僕の好みがどうかなんて、知らないくせに」
「いや知らんけど、絶対違うじゃん!」
「そうですよ! そもそも好みなんてもともとありませんでしたけど、まさかあなたみたいな人に惹かれるなんて……! 僕の方が困惑してますよ!」
「いやなんで逆ギレしてんの!?」
抱き合ったまま叫び合い、近所迷惑だと気付いて二人はぐっと押し黙った。しばらく沈黙すると、有那は恐る恐る問いかける。
「本当に……あたしのこと好きなの……?」
「はい」
「子供がいても?」
「僕はカイトが産まれる前のあなたを知りません。ここに来てからのあなたは最初から今までずっと、カイトの母親でした。そんなあなたを、好きになったんです」
「……あたし、一番大事なのはカイトなのに……? どうしたって二番目なんだよ?」
海渡のことを、一番に愛すと決めていた。自分が幼い頃寂しい思いをしたから、そして父親がいない寂しさを感じさせないように、自分よりまず海渡を大事にすると決めていた。そこはどうあっても譲れない。
そんな有那に対し、ユンカースは表情も変えずに告げる。
「知ってます。……それでいいです。いえ、そうであってほしいです」
「ユンユン――」
ユンカースの言葉に熱がこもる。見下ろす瞳は真剣そのもので、肩に添えられた手がわずかに震えているのに有那は気付いた。――ユンカースが緊張している。
男の腕の中にいても、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。これほどパーソナルスペースに踏み込まれているのに。それは――
有那はうつむいて己の中の動揺とためらいを鎮めると、一歩足を踏み出した。ユンカースに密着し、彼の背中を抱きしめる。
「アリナさん……っ」
ユンカースの胸板に顔を押し当てたまま、有那は小さな声でつぶやいた。
「あたしも好き……」
「え……」
「あたしも、ユンユンが好き。……たぶん、大好き。だってこんなにドキドキしてるし……すごく、嬉しいもん。ユンユンに触れられても怖くないし、むしろ安心する……」
ぎゅうう、と力を込めると上着の下でユンカースの心臓が早鐘を打っているのが分かった。
ユンカースに少し引き離されると、彼は有那を見下ろして小さく笑う。
「暗くてよく分からないですけど……顔、真っ赤ですよね」
「わざわざ言うなし! ……仕方ないじゃん。こんなの、ほぼほぼ初めてだし――」
「……え」
「コクるとかコクられるとか、もう遠い過去すぎて――。……恥ずかしい……」
消え入りそうにつぶやいた有那にユンカースがうっと詰まり、天を仰いだ。もう一度強く抱きしめると、有那の髪に顔をうずめる。
「……本当に困った人だな。そんな反応されたら……ますます離れられなくなるじゃないですか」
思いのほか広い胸に埋もれ、有那は陶然となった。久しく感じていなかった大きなぬくもりに心がほどけ、また涙が滲む。
「ひっ……。うー……」
「また泣いてるんですか? 明日目が腫れても知りませんよ。カイトに心配されるんじゃ」
「だってしょうがないし……! 勝手に出てくるんだもん。安心したのと、嬉しいのとで」
「…………」
ユンカースがぎこちなく有那の頭を撫でる。その温かい感触に浸り、有那はほう…と息を吐き出した。
「あと1分したら戻るから。明日も仕事あるし。だからそれまで……ぎゅってして」
「……分かりました」
初めて誰かに心を預け、溶けていきそうだった。心身を委ねた有那を抱きとめ、ユンカースは1分では足りないと腕に力を込めた。