白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます
 あやしい男を追いかけて階段を駆け下り、1階の酒場のカウンターを横切ろうとしたら、開店準備の仕込みをしていた様子のビアンカさんが「あら?」と呑気な声をあげた。
「ビアンカさん、泥棒よっ!」
 駆け抜けざま、振り返らずにそう叫んで酒場の外に出ると、男はかなり遠くまで逃げていた。
 しかし、逃げた方向を確認して「もらった」とほくそ笑む。
 男が走っていた方角は、道がレンガ敷ではなく土だ。
 ということはつまり——。

 手を掲げて男の足元に泥の沼を発生させる。
 それに足を取られて立往生し始めた男のすぐそばへ転移した。
 土からボコボコと現れるわたしを見て、男がまた「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。
「怖いっつーの! なんだよおまえ!」
「それはこっちのセリフだっつーの! 誰よ、あなた。ロイさんの剣、返しなさいよっ! それ重いでしょう? そのまま抱えてたら一緒に沈むわよ?」
 男が焦った様子で足元を見下ろす。
 すでに膝下までぬかるんだ泥に埋まっている足は、こうしている間にも少しずつズブズブと沈んでいるところだ。
「ちょっ! 待ってくれ!」
 男は踏ん張りのきかない足でどうにか大剣をこちらに向かって投げ、その反動で尻もちをついた。
 今度はお尻と手まで沈みつつあるその姿に一瞥をくれて、くるりと背中を向ける。
 ロイさんの大剣が戻ってくればそれでいい。もうこの男のことなど知ったこっちゃない。

「おいコラ! 剣を放しても沈んでいくじゃねーか! これ完全に沈んだら、俺どこに行くんだ?」
「さあ、知らないわ。生きて戻ってくることができたら教えてちょうだい」
 沈んでしまえと本気で思っていたところに、ビアンカさんがのんびりとした足取りでやって来た。
「あらあら。ヴィーちゃん、この人お客様なのよ。助けてやってくれない?」
「客? 嘘でしょう!? だってこの人、ロイさんの剣を盗んで逃走したじゃないですか。ビアンカさんも見ていたでしょう?」
 すでに胸のあたりまで沈んだ男が、大きな声で申し開きをした。
「あの部屋で待っているように言われて、その立派な大剣が目についたから手に取って眺めていたら、植木鉢からあんたが出て来たからびっくり仰天して、思わずその剣を抱えたまま逃げ出しただけだ! 決して盗もうとしたとか、そういうんじゃないです! 助けてくれえぇぇぇっ!」
 わたしは無言のまま大剣を鞘から引き抜いて構える。
「せいっ!」
 掛け声とともに横なぎに払うと、ほっかむりからはみ出していた男の黒い前髪がハラハラと落ちた。
「もしそれが嘘だったら、次は首を切り落とすわよ」
 男は青ざめて、はくはくと口を動かすのが精いっぱいの様子だ。
「もうっ、ヴィーちゃんはその剣を持つとロイさんみたいにすぐ乱暴になるんだからぁ」
 ビアンカさんにクスクス笑われてちょっと恥ずかしくなりながら、泥の沼を解除する。
「助かったぁ……ってか、どんだけ怪力!?」
 男のつぶやきを無視して酒場に戻ったのだった。
 

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