エリート海上自衛官の最上愛
 そして気がついたら、"ここで働かせてほしい"とマスターにお願いしていたのだ。

 お腹を空かせてやってきた人が、ひとときの間ホッとできて、お腹だけでなく心まで満たされる。

 こんな店がまさに自分が理想としていた場所だ。ここでなら、また料理を好きだった自分に戻れるかもしれない。

 今から思い返してもなぜあんなことができたのかと恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。うみかぜでは、べつに求人を出していたわけではないのに。

 それでもマスターが芽衣を雇ってくれたのは、夜遅くにひとりで突然やってきて泣き出した芽衣を放っておけなかったからだろう。

 家に帰ると、芽衣はすぐにシャワーを浴びる。夕食はまかないで済ませているから、あとは寝るだけだ。

 さっぱりしてバスルームから出てきた芽衣は、部屋のカーテンが少し開いていることに気がついた。タオルで髪を拭いていた手を止めて歩み寄り、きっちりとカーテンを閉めた。

 部屋を借りる時、横須賀基地が一望できるこの窓からの眺めがここのマンションの売りなのだとマスターは言った。

 芽衣はそれに笑って頷いたが、実はあれからの三カ月間、このカーテンを完全に開けたことはない。


 髪を乾かしてからベッドに座ると、シーツの上のスマホにメッセージが届いている。開いてみると、絵文字混じりの文面が目に飛び込んでくる。

《芽衣、元気にしてる? そっちはもう暑いでしょう? 新しい生活は落ち着いた? 楽しくやってるみたいだけど、無理してないか少し心配。頑張り屋さんなのは芽衣のいいところだけど、甘えることも必要よ。顔を見たいから、一度北海道に帰ってきて》

 芽衣は口もとに笑みを浮かべた。

 小言を挟みながら、芽衣を心配するメッセージの発信者は、芽衣の生まれ故郷、北海道にいる"おばちゃん"。

 芽衣の育ての親だ。

 戸籍の繋がりでいうと母親の従姉妹にあたる人物で、芽衣は小学三年生の夏から都内の調理師学校に入るまで、彼女のもとで育てられた。

 その夏、漁師をしていた芽衣の両親が、海難事故で亡くなったからだ。

《あまり無理しないでね。いつでも帰ってきていいんだから》

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