エリート海上自衛官の最上愛
 ちゃぷんちゃぷんと水音がする海に突き出したエリアで、晃輝が竿を持ち水面に向かって糸を垂らしている。

 口もとには笑みが浮かんでいて、視線は下を見ているが、魚のことではない別のことを考えているのは、一目瞭然だ。

 芽衣も隣で同じように糸を垂らしながら彼を睨んだ。

「まだ笑ってる」

 水槽のトンネルを抜けた後、ふたりはさっそく釣りをするためにいけすにやってきた。
 久しぶりの釣りに芽衣の胸は弾んだ。

 彼の方も中学以来だと言って懐かしそうにしているが、それだけで笑っているわけではない。

 さっきの水槽のトンネルの出来事を思い出しているのだ。

 勇気を出して潜ってみることにした水槽は、思っていたよりも素晴らしかった。

 はじめの数歩めこそ、海の底を感じる青い世界にほんの少し怯んだが、晃輝が優しく引き寄せてくれて平静を取り戻した。そしてすぐにしましまの魚の大群が頭上を通り過ぎていくのを目にして怖さは吹き飛んだのだ。

 彼が笑っているのは、トンネルの足元にべったりとくっついていた大きな蛸を見て芽衣が思わず呟いてしまった言葉に対してだ。
『美味しそう……でも捌くの、大変そう』

 水蛸は料理人の芽衣にとっては高級食材だ。

 立派な吸盤は刺身にするとコリコリとした食感で喜ばれる。イタリアンにするならカルパッチョにしても美味しい。

 晃輝に言ったというよりは、心の声が漏れてしまったような言葉だったが、それを聞いた晃輝が噴き出して笑い出したのである。そしてさっきからずっと『可愛いなぁ、芽衣は』を連発している。

 晃輝がくっくと肩を揺らした。

「隣の小学生が、ギョッとしてたぞ」

「そ、それは本当に申し訳なかったです……」

 その時、芽衣の隣にいた男の子は、蛸を見て『可愛い』と声をあげていた。それなのにすぐその後に芽衣が食べる前提の感想を漏らしたから、びっくりさせてしまったのだ。

「本当に芽衣は可愛いな。せっかくだから蛸を釣り上げて芽衣に捌いてもらおう」

「このいけすに、蛸はいません」

 そんな会話をしながら、ふたり糸の先を見る。

 晃輝が真顔になり心配そうに芽衣を見た。

「芽衣、大丈夫か?」

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