エリート海上自衛官の最上愛

芽衣の過去

「お先に失礼します」

 オレンジ色の暖かな明かりが灯る店内に声をかけて、芽衣はガラガラと扉を開けて店を出る。ふわりと感じる夜の風は、もう夏の匂いがした。

 うみかぜの建物は三階建の小さなビル。一階が店舗で二階がマスターの自宅、三階はワンルームの賃貸マンションになっていて、芽衣はその一室に住んでいる。

 時刻は午後九時をまわったところ、勤務を終えての帰宅中だ。

 うみかぜの夜営業は、午後五時から午後十時までだが芽衣の勤務は九時までなのだ。芽衣が夜遅くに帰宅するのは心配だと、マスターがそう決めた。

 芽衣はうみかぜの建物の三階に住んでいるのだから、危険なことなどなにもないと、芽衣は思うのだけれど。

 ふんふんと鼻歌を歌いながら、芽衣はビルの外階段を上る。

 今夜のうみかぜは予想通り大盛況だった。海外長期演習から帰国した客たちが、マスターの味を求めてやってきたのだ。

 いつもより多めに準備した芽衣特製のポテトサラダは、はじめて食べる客たちにも好評で、あっという間になくなった。

 お腹を空かせてやってきた客が、満たされ笑顔になって帰っていく。

 うみかぜは、正に芽衣が理想としていた店で、そこで働けることが嬉しくてたまらない。

 四カ月前の芽衣には、想像もできなかったことだった。

 この街へ来る前、芽衣は都内の三ツ星ホテルで働いていた。

 調理師学校を出てすぐに就職した職場で、そこで芽衣は調理の基礎を叩き込まれた。上下関係が厳しく先輩の言うことが絶対という雰囲気の場所で、理不尽な思いをすることも多かったが、学ぶべきことも多く、一生懸命働いた。いつかは独立し自分の店を持つことを目標にして。

 状況が一変したのは、系列ホテルからチーフが異動してきたことがきっかけだった。料理長が引き抜いたという彼は確かに料理の腕は一流だった。だがすぐに芽衣に対して妙に馴れ馴れしくしはじめたのだ。

 メニューを考えるからと、勤務時間後に芽衣ひとりだけ残されたり、リサーチと称して、休日に呼び出されふたりきりでの食事に付き合わされたり。

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