ママとわたしの食卓

シチュー-Carrion-

 庭で犬が遊んでいる。赤い首輪に繋がる鎖を外されて、楽しそうに走り回っている。庭の植木を齧ってみたり、花に誘われた蝶を追いかけてみたり、楽しそうに遊んでいる。

 掃き出し窓に腰掛けて、私は犬を眺めている。膝の上に肘をついて、手のひらに顎を乗せて、私は解放されたくせに逃げようともしない犬を眺めている。

 ぐるぐるぐるぐるバターになるんじゃないかって思うぐらい、自由になったのに自由になろうとしない犬の姿を眺めている。

 庭の木漏れ日の明るさに目を細めていると、犬は家の裏手に回って視界から消えた。そして、戻ってこなくなった。


 ――うらぐちから、にげてくれたのかしら。


 そう思って喜んだのも束の間。犬はまた私のところに戻ってきてしまった。

 恍惚と、甘美な匂いと共に……

 犬が何かを咥えている。それは手折られた部分に赤色と黒色の物がこびりついた、白っぽい木の枝。その反対側は少し平たくて五つに枝分かれしている。その枝から甘い匂いは漂ってきていた。


 ――いらっしゃい。


 そっと手を広げて犬を呼ぶ。甘い甘い匂いに私はくらくらしてしまって、従順な犬は私の呼びかけに素直に近づいてくる。そっと顎を撫でてやって、咥えた物を放させる。


 ――ほりかえして、しまったのね。


 受け取った白い枝に私は頬ずりをする。細く枝分かれした部位が喉元を掠め、私はその甘い香りに絶え切れず、先を少し齧ってみる。

 やっぱり甘くて、舌先が痺れる。

 しばらく口の中で転がしてその甘さを堪能した後で、ゆっくりと嚥下する。それが喉を滑り落ちる感触に、背筋が泡立つ。

 齧ったものが体の中に落ちていって、白い枝は私の手の中だというのに、まだ犬から甘い香りが漂ってきていた。

 私は白い枝を手にしたまま立ち上がると、窓から家の中へと入る。今度はその中から犬を呼ぶと、犬は少しためらいがちに家の中に入ってきた。私は窓を閉めて、カーテンを閉じた。

 そこは、ダイニングルーム。

 逃げ出さない犬は、再び檻の中へ。

 私はカーテンを背に、鼻からめいっぱい空気を吸い込む。甘い匂いが鼻腔をついて、私は確信を得た。

 テーブルの上に白い枝を置いて、足の間に尾を垂らした犬の前にしゃがみ込む。くりくりと愛らしい眼が私を見上げてきて、私は犬の顎を両手で掴む。


 ――ああ、やっぱり……たべてしまったのね。


 無理矢理開かせた犬の口に顔を近づける。むせ返るような生臭さと獣臭さの中に、眩暈がするほど甘い匂いがした。

 甘ったるい、馨しい香り。鋭い牙の並んだ肉食獣らしいその歯並びに、赤いジャムがこびりついていた。

 私だけの甘い甘いジャム。それなのに、嗚呼それなのに。


 ――たべてしまうだなんて!


 犬の口から漂う香りに私はいっそう顔を近づけ、てその匂いを嗅ぐ。そして、私はその牙にこびりついたジャムを舐めた。ぞろりとしたその歯並びに、舌を這わせる。身動ぎ逃げ出そうとする犬を押えつけて、その牙の間に、歯茎との境目に、舌を入れて赤いジャムを舐め取る。そのジャムの甘さに止められず、犬の口内をまさぐる。

 暴れる犬を押えつけて、その拍子に肩がテーブルの足に当たった。ぐらりと揺れるテーブルからナイフが転がり落ちる。パイを切り分けた、あのナイフが。

 甘い甘いジャム。私だけのジャム。それなのに、それなのに、嗚呼それなのに。

 それと一つになっていいのは私だけなのに。


 ――だめ、あげない。かえして。かえして!


 犬の白いお腹が赤い赤いジャムにまみれる。でも、それは私の欲しいジャムじゃない。

 私はジャムを溢れさせる犬の体を抱き上げ、そっとテーブルの上に横たえる。テーブルクロスがジャムを吸い込んで染まる。

 私はジャムが溢れる中に手を差し入れた。

 パイが乗っていた紺色のラインの入ったお皿に私はそれを取り出す。

 赤いジャムにまみれた袋。その中に私の欲しい物が秘められている。

 パイ包みのシチューを前にするような気持ちで、私は皿に乗せられたそれにナイフを入れる。中から溢れた汚らしい物に混ざって、私の欲しくてたまらない物が零れ落ちる。

 匂い立つ甘さ。眩暈、痺れ、溜まる唾液。

 私は皿の上に身を屈め、その不純物を舐め取る。まるで犬のように。
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