【完結】嫌われ者の王子様がわたしと契約結婚する理由
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ウェンディが誘拐されて一週間が経った。ウェンディはエリファレットに従うフリをして、ある中編作品を書き上げた。
「もう原稿ができたのか? ならさっさと渡せ。エリファレット殿下にお渡しする」
「嫌です」
「なっ!?」
このところ、さっさと原稿を書き上げろとロナウドにしつこく催促されていて、鬱陶しく思っていた。窓も扉も閉めっぱなしでただでさけ空気が悪いのに、彼がいるせいでもっと空気が薄くなっている気がする。
原稿を渡せと催促するロナウドをぴしゃっと跳ね除けると、彼は不機嫌そうに眉間を寄せた。
「ロナウド様って馬鹿ですよね」
「馬鹿だと……!?」
「どうして第1王子殿下の言いなりになっているんです? 言うことを聞いたって約束を守ってくださるような方ではないと分かっているはずなのに」
「それは……」
ウェンディは読み返していた原稿を机に置き、彼の元に歩み寄った。冷めた表情で見上げると、彼は少しだけたじろぐ。ペン先を彼の鼻の先に突きつけて妖しく告げる。
「――借金、私が返してあげましょうか」
「ほ、本当か……? だってお前、収入は寄付してるって……」
「今後入ってくる収入は別です。実は、ある舞台の脚本のお仕事が来てて……近々ガッポリとお金が入ってくるんですよ」
「ガッポリ」
「そう。ガッポリです。国中の貧しい子どもたちに配るためのペンに、国を覆くらいの大きな紙、山よりも高く積み上げられる本を買ってもお釣りが来るでしょう!」
指で丸を作り、コインを想像させながら下卑た笑みを唇に浮かべる。とにかく、想像もつかない大金が懐に入ってくるのだと告げると、彼はごくりと唾を飲んだ。
「無理難題を押し付けた挙句、約束を破るかもしれない王子様と、人畜無害な元婚約者、どちらを信じた方が得になるか――あなたにも分かるわよね?」
ペンの先を頬の上から下に伝わせ、顎を持ち上げて耳元で囁く。「お前の望みはなんだ」という言葉を聞いて、そっとペンを胸ポケットにしまう。ウェンディが借金返済を検討する代わりに提示した条件は――。
「イーサン様に、私は無事だとお伝えして」
「それだけで……いいのか?」
「一番大事なことです」
ここに来てから、イーサンのことが唯一の気がかりだった。ウェンディの身を案じるあまり、食べられなくなっていないか、睡眠不足になっていないか、それだけが心配の種だった。居場所を伝える必要もなく、ただ元気にしていることだけ伝えてくれたらいいと言うが、ロナウドは迷った。
「いや、俺がのこのこと王宮に行けば、お前の居場所を吐けと尋問される」
「なら、手紙をしたためます。もちろんあなたがチェックした上で、届けるかどうか判断していただいて結構です」
「分かった。それならいいだろう」
「では、ひとりでゆっくり書きたいので外で待っていてください」
ウェンディは紙を一枚引っ張り出して、『親愛なるノーブルプリンスさんへ』という書き出しで、体調を心配するメッセージを書いた。
(イーサン様なら、私の筆跡だとすぐに分かるはず。あとは……)
そして、あらかじめラティーシナに頼み、昼食に添えてもらったレモンを手に取って観察する。
(そう……疲れたときにはレモンよね)
手紙を封筒にいれ、ロナウドを再び呼び出して渡せば、それを大事そうに抱えて部屋を飛び出していった。彼はつくづく他力本願で、騙されやすく単純で――馬鹿な人だ。
(借金返済を検討はしても、引き受けるとはまだ言ってないのにね)
ロナウドと入れ替わるように、ラティーシナが飲み物を持って部屋に入ってきた。
「このレモン、もう片付けておいてください」
「おやくにたちましたか?」
「はい。これで――イーサン様に居場所が伝わるはずです」
◇◇◇
ウェンディが寝る間を惜しんで小説を書いているころ、王宮では。ウェンディが失踪したことでイーサンは動揺、当惑していた。
「イーサン様……どうかひと口だけでもお召し上がりください……! このままでは倒れてしまわれます」
「いらないから下げてくれ、ニナ。……とても食べる気になれない」
アーデルとニナは困ったように顔を見合わせる。
ウェンディだって、食べることさえままならずに辛い思いをしているかもしれないのに、どうして自分だけ呑気に食事ができるだろうか。
ここに来て、最悪の事態が起きた。イーサンにとって最も大切な人がいなくなってしまったのだ。彼女が消えたのと同時にエリファレットも王宮に姿を見せなくなったので、彼が連れ去ったということはすぐに分かった。捜索が始まって一週間経つが、未だに彼女の消息は掴めていない。
イーサンは私室でひとり、ぎゅっと拳を握り締めた。
(兄上……もしウェンディを傷つけたら、そのときは決して許しません)
半分偽物と罵るエリファレットの声が今も鮮明に耳に残っている。エリファレットは王位も、正統な王族として生きる自由な生活も、たったひとりの想い人も、全てイーサンから取り上げようというのか。
ウェンディがいなくなった日から、イーサンはほとんど眠らず、飲まず食わずで過ごしていた。彼女の捜索に自ら参加しようとしたが、即位式を控えているということで周りに止められてしまった。こうしている間にも、ウェンディが辛い目に遭っているかもしれないと思うと、心配でどうにかなってしまいそうだった。
すると、イーサンの様子を聞いて心配した国王が、カーティスとともに離宮を訪れた。カーティスは国王の補佐として長らく政務に参加しており、ウェンディの捜索隊の統率もしている。兄でさえウェンディのために動いているのに、何もできない自分が情けなく思えた。
「イーサン様。国王陛下と第2王子殿下がいらっしゃいました」
「お通ししろ。君たちは下がっていなさい」
「「……はい」」
アーデルとニナを部屋の外に出し、代わりに国王とカーティスが入室した。
やつれて、明らかに弱ったイーサンを見て、国王は心配そうに眉を寄せた。
「この一週間、まともに食べていないと聞いた。見たところ、顔色も悪いようだ。何か食べたいものがあれば……なんでも用意させよう」
「結構です。私には今までのように――陛下や皆さんの食べ残しで十分ですよ」
「そ、それは……」
「即位式の心配をなさっているのなら問題ありません。出席はしますから」
イーサンが挑発的に言うと、カーティスが苦言を呈した。
「その態度はなんだい? 陛下はただお前の体調を案じていらっしゃるだけなのに、失礼だろう」
「失礼なのはどちらでしょう。今まで忌まわしい婚外子として離宮に追いやっておいたくせに、今更何を心配すると言うのです?」
「イーサン! 口を慎め。陛下がどんな思いでお前を守ろうとしてきたか……」
カーティスが国王を庇おうと声を上げると、国王が「やめよ」と彼を制止した。
「……そなたには悪いことをしたと思っておる。今更父親面しようなどとは考えていない。余は臆病で愚かな王だった。失うことを恐れて、戦おうとしてこなかったのだから。ただ、父としてそなたを想っていることは確かだ」
「ならどうして、今まで本当のことをおっしゃらなかったのですか?」
「真実を言えば、そなたの命が危なくなるかもしれなかったからだ」
「え……」
国王は再び、イーサンに残酷な真実を告げた。イーサンの母親を殺した犯人は――恐らくルゼットであると。彼女は自分の子どもを王座に据えて権力を握ろうとしているから、イーサンは王位継承順位が低い婚外子である必要があったのだ。
「そなたが生きるには、何も知らず、何もしないでいる他になかった」
それを聞いて、イーサンは笑って椅子から立ち上がる。自分より背の低い父親を見下ろしながら冷たく告げる。
「はは。陛下は冗談がお上手ですね。迫害されてきた今までも死んでいるのと同じでした。生きていたって、死人同然だったんです。本当に私のことを愛していたなら、私を忌み子として離宮に閉じ込めるのではなく、どんな手を使っても王妃を追放するべきでした。私の何を守ったというのです? 父上。答えてください……!」
目頭が熱くなるのを感じながら、子どものように一方的に父を責め立てる。国王は傷ついた様子で言った。
「余のことはいくらでも憎んでいい。ただ、食事はしっかり摂れ。そなたはじきに王太子に即位するのだから。何もしてやれなかった代わりに、そなたに地位も権力も財産も全て譲る。……余を反面教師にして、余のような愚かな王にはなるなよ」
「王太子にはなりません」
イーサンは椅子の背もたれにかけておいた上着に袖を通しながら、国王の言葉をばっさりと切り捨てた。
「私はこの国がどうなろうとどうでもいいんです。私はそもそも王の器ではないですし、こんな男に国王は務まりません。本当にこの国の王にふさわしいのは誰か、陛下のご慧眼で見極めてください」
カーティスをちらりと見れば、彼は面食らった表情をしていた。
誰もが欲するこの国の最高権力者の地位をゴミを捨てるかのようにあっさり放棄することを告げたイーサンは、外に出かける支度を済ませて、扉に手をかけた。
カーティスに「どこへ行くつもりか」と問われる。
「僕の守るべきものは、国ではなく、たったひとりの愛する妻です。――彼女を探しに行きます」
イーサンはそうひと言告げて、国王とカーティスの元を離れた。残された2人は悩ましげに顔を見合せた。
そして、食堂を出たあと、アーデルが一通の手紙を渡してきた。送り主の名はないが、『親愛なるノーブルプリンスさんへ』という宛名で、すぐにウェンディからだと分かった。
「誰がこれを届けに!?」
「わ、分かりません。離宮に落ちていて、誰かがいたずらで投げ入れたのかと思いましたが……」
急いでペーパーナイフで封を切って中身を確認する。
そこには、よく見慣れたウェンディの筆跡で、『しっかりご飯を食べて、寝てください。疲れたときには果物がよいそうですよ』と短く書かれていた。
「これだけ……ですか?」
「果物というと……キウイとかバナナ、ブルーベリーなどでしょうか。何かご用意しますか?」
手紙を一緒に見ていたアーデルとニナが首を傾げる。裏面を見ても、何も書かれていない。しかしイーサンにはすぐ、ウェンディの意図することが分かった。
「いや――レモンだ。ニナ、アーデル。すぐに火を用意しろ」
「火、ですか?」
「ああ。これはあぶり出しだ」
レモンの汁に含まれる酸は、紙に付着すると水分保持力が減少して焦げやすくなるのだ。ウェンディは作品の中で、秘めたメッセージを伝える方法として何度もこのあぶり出しを使っている。きっとこれは、ウェンディがイーサン、いや『ノーブルプリンスマン』だから伝わると信頼して送ったメッセージなのだ。
召使いにロウソクを用意させ、裏面をあぶると、焦げた文字が浮き出た。そこには――ウェンディがいる建物の住所が書かれていた。