平穏な生活を望む美貌の子爵令嬢は、王太子様に嫌われたくて必死です
「……!」

そのことを先に気付いたのはフェリクス様だった。

ギョッとしたように目を見開く。

そして眉を下げ、非常に苦しそうに呟いた。

「……泣くほど僕に触れられるのが嫌だった?」

そう言われて、私は初めて自分が泣いていることに気が付いた。

無意識だったのだ。

でもその理由には心当たりがある。

私はつい思い出してしまったのだ。

記憶の奥深くに封印したはずのギルバート様とのあの口づけを。

 ……あれが初めてだったのに。初めての口づけは想う相手――フェリクス様が良かった……。

フェリクス様のことが好きだと思えば思うほど、あの口づけが悔やまれてならない。

悔しくて、悔しくて、心がぐちゃぐちゃになって涙が止めどなく溢れてくるのだ。

フェリクス様は悲痛な表情を浮かべ、私から身体をゆっくりと離した。

その途端、私を包み込む温かさが消え失せ、一気に心身ともに冷えてくる。

「……ごめんね。シェイラを泣かせるつもりはなかったんだ。それほど苦しめていたなんて思わなかった。……いや、嫌がられていることは知っていたのに見ないふりしてきた。シェイラの立場だと拒否できないよね。僕が悪い、ごめん」

私から距離を取ったフェリクス様が謝罪の言葉を口にするのを聞いて、誤解されているとすぐに分かった。

だけど何て言葉を返せばいいのか分からない。

泣いている理由は言えないし、言いたくない。

ギルバート様に口づけをされたなんてフェリクス様には絶対に知られたくはないのだ。

それに「嫌がってない」ことを説明するのなら、必然的に「好き」だという気持ちも伝えなくてはならないだろう。

まだそれを口にする勇気も覚悟も私にはなかった。

だから何を口にすればいいのか迷い、結果的に私は何も言えず口ごもってしまったのだ。

「……っ」

泣きながら言葉に詰まる私をコバルトブルーの瞳が悲しげに見ている。

そしてフェリクス様はそれ以上は何も言わず静かにその場を去って行った。

その後ろ姿に声を掛けることも、追い掛けることもできずに私はただただ立ち尽くす。

このことを私はすぐに後悔することになった。
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