平穏な生活を望む美貌の子爵令嬢は、王太子様に嫌われたくて必死です
これはなんだか大事になってしまいそうな予感がして私は慌ててフェリクス様を止めるように軽く腕を引いた。

「あの、もういいですから。思い出したくもないというか……」

「じゃあ今後はこっちを思い出して」

「えっ? こっちというの……」

問いかけた言葉は途中で途切れてしまった。

なぜならフェリクス様に唇を塞がれたからだ。

柔らかな感触が唇に触れ、驚きと同時に甘いときめきが胸を支配する。

優しくて穏やかで、唇から気持ちが伝わってくるような口づけだ。

全く不快感や気持ち悪さなんてない。

 ……同じ行為でもギルバート様とは天と地ほどに違う。全く別物だわ。

あれはただの事故。

そしてこれこそが正真正銘の私のファーストキスだと思えた。

「嫌だった?」

「いえ、全然。……嬉しいです」

「良かった。シェイラ、これがシェイラの初めてだからね? 上書きして以前のは記憶から抹消したから」

言い聞かせるようにそう告げたフェリクス様は再び顔を寄せてくる。

今度は私もそっと目を閉じて受け入れた。

重なった唇は、私に甘い幸せをもたらし、心が温かく満たされていく。

だが、しばらくすると変化が訪れた。

触れるだけの優しい口づけから一転し、唇が唇をこじ開けて舌が差し込まれたのだ。

まるで意思のある生き物のようなぬるりとしたものが舌に絡みつく。

「………!」

びっくりして反射的に目を開けてしまった。

フェリクス様の瞳とかち合い、そこに悪戯っぽい光が宿っていることに気がつく。

唇が離れた時、やはりフェリクス様は顔に楽しげな笑顔を浮かべていた。

「ごめんね、びっくりした?」

「し、しました……」

「ふふ、インパクトがあった方が記憶に強く残るかなと思ってね。上書きするためには念には念を入れてみたんだ」

悪戯が成功した子供みたいにフェリクス様は小さく笑う。

そしてその試みは大成功と言っていいだろう。

なぜなら先程の思いがけない濃厚な口づけで私の頭の中はいっぱいだったからだ。

ギルバート様とのことなどもう思い出す隙間すらない。

 ……もう、相変わらず私はフェリクス様に翻弄されてばかりだわ。フェリクス様は私を驚かす天才ね。

思い返せば、初めて言葉を交わした時も、その後教室に現れた時も、色仕掛けをした時も、デートをした時も、ずっとフェリクス様には手玉に取られてきた。

私の想像を軽く超えた言動をするフェリクス様に振り回されてばかりだ。

 ……でもそんなところも好きというか、敵わないなぁって思わせられるのよね。

結局のところ、私はフェリクス様に心奪われ、もうすっかり魅了されているのだ。

無敵王子と呼ばれる王太子殿下にではなく、フェリクス様という個人に。


こうして卒業パーティーを間近に控えたこの日、私はフェリクス様と心を通わせ合い、また同時にフェリクス様へ向ける自分の想いの強さを改めて思い知ったのだった。
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