平穏な生活を望む美貌の子爵令嬢は、王太子様に嫌われたくて必死です
見間違いかと思うほどのほんの一瞬の出来事で、気が付けば私の左手は自由になっていた。

でもそれが見間違いではなく現実だということは私が一番よく分かっている。

左手の甲にまだ熱が残っているからだ。

感触まで脳裏に焼き付いていて、夏でもないのに急に身体がジワリと熱くなった。

「それじゃ行こうか? この歩道は東の城下町に繋がっているからこの道に沿って散策しよう」

だが、当の本人は何事もなかったようにいつも通りの飄々とした態度で私の前を歩き出した。

 ……私から仕掛けるつもりが、逆になんだかフェリクス様の方から仕掛けられていない? 自分がするのはいいけど、相手にされると心臓に悪いわね……。

いまだに脈打つ心臓をなんとか宥めながら、私もフェリクス様の後ろを追いかけて歩き始めた。

歩道には、黄色や赤に色付く木々が立ち並び、木々のトンネルのようになっている。

足元にも色付いた葉が落ちていて、まるで絨毯のようだ。

上を見ても下を見ても、情緒溢れる美しい景色が広がり、人々の目を楽しませてくれる。

「綺麗ですね」

フェリクス様のほんの少し後ろを歩きながら、いつしか情景に魅入っていた私の口からは心からの感想が滑り落ちた。

「そうだね、秋を感じるね。シェイラと初めて言葉を交わしたのは卒業パーティー前の春先だったから、あともう少しで季節が巡ることになるね。月日が経つのは早いなぁ」

フェリクス様の言う通りだ。

もうかれこれ8ヶ月近く、不本意ながらフェリクス様と関わり合ってしまっている。

 ……季節が巡ってしまう前に嫌われなければ。のんびり景色を楽しんでいる場合ではないわ。先程はフェリクス様の思わぬ行動で動揺したけれど、今度は私から仕掛けるのよ! 今日は大胆にいくって決めたのだもの!

自分に喝を入れ、私はエバに教えてもらった色仕掛けの中でも難易度高めの手を披露することにする。

ふぅと深呼吸したのちに、フェリクス様との距離を詰めると、思い切ってフェリクス様の腕に抱きついた。

自分の腕を絡めて密着するように身体を寄せる。

そして意識的にフェリクス様の腕に胸を押し付けた。

決して小さくはないが大きくもない、普通サイズの胸だ。

マルグリット様のような豊満なものをお持ちの方がする色仕掛けではないかと思ったのだが、エバによるとサイズ関係なく女性が男性に言い寄る時によく使われる方法だという。

女の武器を全面に出した、まさにフェリクス様が一番嫌うような女性がしそうなことではないだろうか。
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