平穏な生活を望む美貌の子爵令嬢は、王太子様に嫌われたくて必死です
「これは僕の推測だけど、もしかしてシェイラがセイゲル語を学んでいたのも、お母上が関係していたりする?」

頭の回転が早いフェリクス様は、今の話だけで私がセイゲル語を学んだ動機にまで思い至ったらしい。

以前にもセイゲル語を勉強している理由を尋ねられたが、その際は親しくもない王族の方に話したくなくて誤魔化した。

でも今はもはや隠す必要もないだろう。

「はい、その通りです。セイゲル語の参考書は母の遺品なんです。母は恋人だった商会長といつかセイゲル共和国に買い付けに行くのが夢だったと聞きました。そのためにセイゲル語を学んでいたらしいのですが、私の場合はそういった具体的な目的はなく、なんとなく軽い気持ちで始めました。……強いて言えば、遺品を通して亡き母を悼みたかった、それが理由かもしれません」

「シェイラ……」

どうやら自分で思っている以上に、私は話しながら哀しげな表情をしてしまっていたらしい。

フェリクス様が気遣わしげな顔をして私を見ている。

こんなつもりではなかったのにと、なんだか居た堪れない気持ちになって、私はそっとフェリクス様から視線を外した。

だが次の瞬間、その視界は広い胸板によって塞がれてしまい何も見えなくなる。

突然席を立ち上がって隣に座ってきたフェリクス様が私の顔を胸に押し付けるようにして抱きしめてきたからだ。

「………!! あ、あの……!」

いきなりの抱擁に心臓が飛び出しそうになる。

急速に心拍数が速くなり、体がかあっと燃えるような恥ずかしさが襲ってきた。

なのにその一方で、包まれるような温かさに不思議と心が落ち着くような感じもする。

「……フェリクス様、あの、私は大丈夫ですから。もう母が亡くなって何年も経っていますし、慰めて頂く必要はありません……!」

たぶんフェリクス様は私が悲痛な顔をしていたから同情して慰めてくれているのだろう。

そう思った私は、大丈夫である旨を告げながらフェリクス様の胸を手で軽く押して離れようとした。

しかしそれを拒むように、私を抱きしめるフェリクス様の腕にさらに力がこもる。

「別に慰めてないよ? これはただ僕がしたいことをしてるだけ。シェイラを抱きしめたいだけだから」

軽い口調でそんな言葉を口にするフェリクス様の腕はとても優しかった。

だからつい心を許してしまったのかもしれない。

私はなぜかそれ以上フェリクス様を振り払うことができず、そのまましばらくの間フェリクス様の腕の中に身を預けてしまったのだった。
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