この度、元カレが義兄になりました
第2話 同居のはじまり
〇引っ越し当日。佐野家のリビング(夕方)
佐野家での同居初日。陽菜と母の引っ越しの荷物を、片づけ終えたあと。
陽菜の母「ねえ、陽菜。今夜は手巻き寿司にしようかと思うんだけど」
陽菜「うん。いいね、手巻き寿司!」
光佑と伊月も賛成する。
陽菜の母「それで悪いんだけど……陽菜、買い物に行ってきてくれない?」
陽菜「え!?」
陽菜の母「お母さんは、夕飯の準備があるから」
陽菜(買い物か。今日初めて来た町だけど、道分かるかな?)
光佑「そうだ。伊月、お前も陽菜ちゃんと一緒についていってあげなさい」
陽菜・伊月「え?」※二人の声が重なる。
顔がわずかに曇った陽菜を見て、気をつかってくれた義父。しかし、今の陽菜にとっては少しありがた迷惑な話。
伊月「なんで俺が?」※眉をひそめる
光佑「陽菜ちゃん、今日ここに引っ越してきたばかりで道とか分からないだろう?」
陽菜「でっ、でも……佐野くんに悪いですよ」
陽菜(佐野くんと二人きりとか、何を話せば良いのか分からないし。)
(彼と二人になるのは、なるべく避けたい……。)
遠慮がちに伊月のほうに目をやると、あからさまに不機嫌な顔をしており、ピクッと肩が跳ねる陽菜。
光佑「僕としては、できれば兄妹の仲も深めて欲しいし。陽菜ちゃんに家の近所を案内がてら、一緒に行ってあげたら? 伊月」
陽菜たちの過去など知らない義父は、ニコニコ顔。
伊月「……分かったよ。菊池さん、行こう」
陽菜「う、うん。それじゃあ、お願いします」
親の手前断ることもできず、陽菜は伊月とふたりでスーパーに行くことになった。
〇伊月の家の近所の道
陽菜と伊月は並んで歩いている。
しかしどちらも話さず、無言が続く。
陽菜(付き合っていた頃は、佐野くんが色々と私に話しかけてくれていたけれど……)
・中学時代。学校からの帰り道、学ラン姿の伊月が『菊池さんは、休みの日何してるの?』などと陽菜に尋ねる回想。
陽菜(別れた今はさすがにね。期待しちゃダメだ。)
陽菜は黙って隣を歩く伊月の横顔を見るも、恥ずかしくなってすぐに逸らす。
陽菜(佐野くんはクールだから、どちらかというとお喋りなほうではないだろうし。それに、私と付き合っていた頃の佐野くんは何だか辛そうだったから。)
(今思えば、あの頃は相当無理してくれていたのかもしれない。)
それからもしばらく、無言で歩き続ける二人。
陽菜(うう。空気がどことなく重い。このままじゃ、やっぱり気まずいよ)
陽菜「あっ、あの……佐野くん」
沈黙に耐えきれなくなった陽菜が、恐る恐る伊月に話しかける。
陽菜「きょ、今日は……良いお天気だね」
陽菜に言われて、空を見上げる伊月。
伊月「……空、曇ってるけど」
陽菜(え! うそ、さっきまで晴れていたのに)
焦った陽菜が視線を上にやると、先ほどまで青かったはずの空はいつの間にか分厚い灰色の雲に覆われていた。
伊月「別に、無理に話してくれなくていいから」
陽菜「ご、ごめん……」
こちらを見ることなく冷たく言い放つ伊月に、陽菜は傷つく。
陽菜(佐野くん、やっぱり……私と関わりたくないよね。)※しゅんと肩を落とす。
伊月「つーか、無理やり俺と仲良くなろうとしなくていい。父さんたちに心配かけないよう、親の前でだけ仲良いフリをすればそれでいいから」
鋭い目つきでそう言うと、伊月は先ほどよりも歩く速度を速めた。
このとき、伊月の心の中の扉が勢いよく閉まる音が聞こえた気がした陽菜は、唇を噛みしめる。
伊月「……いつも、俺の前では辛そうな顔しちゃって。やっぱり、俺って菊池さんに嫌われてるよな(※ぽつりと)」
陽菜「え?」
伊月の予想外のつぶやきに、呆然と立ち尽くす陽菜。
陽菜(ボソッと言ってたから、聞き取りにくかったけど……もしかして、私が佐野くんのことを嫌ってるって思われてるの?)
(佐野くんのこと、嫌ってなんかいないのに。その反対で、今でもまだ好きなのに。)
(まさか、そんなふうに思われていたなんて……)
歩いていく伊月の背中を、陽菜は悲しげに見つめる。
陽菜(もし今ここで私が何も言わなかったら、佐野くんはどう思うんだろう。)
(きっとこのまま、私が佐野くんを嫌ってるって思われたままだよね? そんなの嫌だよ……!)
陽菜が見つめているうちに、伊月の背中がだんだんと遠くなっていく。
陽菜(それに、親の前でだけ仲良いフリをするだなんてもっと嫌だ。)
(佐野くんとは、これから兄妹になるんだから。別れたあの頃と違って、やっぱりちゃんと仲良くなりたい。)
(彼に本音を話すのは怖いし、緊張するけど……このままじゃダメだ。)
何かを決意した様子の陽菜は真っ直ぐ前を見据え、走って伊月を追いかける。
陽菜「佐野くんっ!!」
今までにない大きな声で自分の名前を呼んだ陽菜に、伊月はハッとして立ち止まる。
伊月「菊池さん?」目を見開き、後ろを振り返る。
陽菜「佐野くん……待って。私、佐野くんのことが嫌いなわけじゃないの」
伊月「え?」
伊月に追いついた陽菜は、ここで初めて自分の本当の気持ちをぶつける。
道端に向かい合って立つ二人。
陽菜「私……中学のあの頃は、男の子と付き合うのが初めてだったから。どうして良いのか分からなくて。好きな人の前では緊張して、上手く話せなかったんだよね」
伊月「……」
伊月は、陽菜の話に黙って耳を傾けている。
陽菜「中学生の頃に、佐野くんと別れた過去があるから。佐野くんと話すときは、気まずく感じてしまって。今でも緊張してしまうんだ。だから、別に嫌いとかじゃないの」
陽菜(ていうか、これじゃあまるで私が佐野くんを好きだと告白してるみたいじゃない?)
※頬が赤く染まる。
陽菜(こんなことを話して、佐野くんに嫌われないか心配だけど……誤解されたままよりも、ずっといい)
陽菜は、胸の辺りを手でギュッと掴む。
陽菜「こんなことを言ってごめんね?」
伊月「いや。菊池さんの本音が知られて嬉しいよ」
伊月「そっか……緊張してただけなのか。俺も別れたあとは、何となく気まずくて。菊池さんを避けてたところがあったから。君も俺と一緒だったんだな」
話し終えた陽菜が伊月を見ると、ホッとしたように微笑んでいた。
伊月「交際していたとき、菊池さんがあまりにも喋らないものだから。もしかしたら、俺からの告白を断れずに無理して付き合ってくれてるのかと思ってた」
陽菜「そっ、そんなことない。あのとき私は……佐野くんのこと、ちゃんと好きだったよ」
一瞬“今も”という言葉が出かかったが、陽菜は必死に飲み込む。
伊月「……ありがとう」
伊月の優しい笑顔を見て、陽菜もようやくホッとする。
伊月「俺たち、二ヶ月だけでも付き合っていたのに。お互いのこと、全然分かってなかったんだな。中学のあのとき、菊池さんともっとしっかり話せば良かった」
陽菜「そうだね。お母さんの再婚相手が、佐野くんのお父さんだって知ったときはびっくりしたけど……」
ドキドキしながら、伊月の目をちゃんと見て伝える。
陽菜「お母さんの幸せのためにも、新しいお父さんと佐野くんを大切にしたいし。私は、これからちゃんと4人で家族になりたいって思ってるよ」
伊月「うん。俺も」
伊月の大きな手が、陽菜の肩にぽんとのせられる。
伊月「中学のときに話せなかった分、これからはたくさん話して。お互いのこと、少しずつ知っていこう。これからは、兄妹として……改めてよろしくな」
陽菜「こちらこそ」
伊月が差し出した手に、陽菜も自分の手を重ねて握手。
陽菜(私……これからは、佐野くんの義妹として、仲良くなれるように頑張りたい。)
(だから、佐野くんを異性として好きな気持ちは、今日限りで封印しないと。)
伊月「そうだ。菊池さん、今更だけど近所を案内するよ……あっ」
陽菜「どうしたの?」
伊月「親が再婚したら、俺たち同じ“佐野”の苗字になるんだし。いつまでも、“菊池さん”って呼ぶのも変だよな」
陽菜(確かに。言われてみれば……)
伊月「菊池さんが良ければ、これからはお互いのことを名前で呼ばない?」
陽菜「そうだね」
伊月「それじゃあ、俺はこれから“陽菜”って呼ぶよ」
伊月にさらっと『陽菜』と呼ばれ、陽菜は心臓が跳ね上がる。
陽菜(ずっと好きだった人に、いきなり名前を呼び捨てにされるとかやばい。)
(幼い頃から呼ばれ慣れたはずの名前が、一気に特別なものになった気がする。)
伊月「なぁ。俺のことも、伊月って呼んでよ」
陽菜「え!?」
陽菜(そんな! いきなり名前で呼ぶなんて
。きっ、緊張する……!)
陽菜「いっ、い、いつ……」
緊張して、言葉につまる陽菜。
伊月「今までずっと、俺のことは苗字で呼んでたんだ。いきなり名前で呼べって言われても無理だよな」
陽菜「ご、ごめん。私、今まで男の子のことを名前で呼んだことがなくて」
伊月「そっか」
陽菜(うう。私ってば、なんでこうなんだろう。佐野くんを、下の名前で呼べばいいだけなのに……)
伊月「それじゃあ陽菜、俺が今から言うことに答えて?」
陽菜「えっ?」
伊月「五月の和名は?」
陽菜「五月? えっと、皐月」
伊月「最近話題の、女子高生演歌歌手の名前は?」
陽菜「五木ななせ」
伊月「それじゃあ、俺の名前は?」
陽菜「ええっと、伊月くん……」
伊月「はい。よくできました」
伊月が、陽菜の頭を優しくぽんぽん。
伊月「ちゃんと呼べたな」
陽菜「い、伊月くんのおかげだよ」
伊月に笑いかけられ、陽菜も微笑む。
初めて自分の気持ちを伝えて誤解が解けた今、二人の間には柔らかな空気が漂っていた。
〇同日の夜。夕食後、佐野家のリビング
家族みんなで、ケーキを食べることに。
母が冷蔵庫から持ってきたケーキ屋さんの箱の中には、イチゴや抹茶といった春らしい色合いのスイーツが4つ並ぶ。
陽菜「うわあ、美味しそう」
色とりどりのケーキを前に、陽菜の心は躍る。
陽菜の母「伊月くんと陽菜、好きなの選んでいいわよ」
伊月「陽菜は、どれがいい?」
陽菜「えっと……」
陽菜の目線は、大好きなチョコレートケーキに一直線。だが伊月の手前、迷う陽菜。
伊月「どうした? 遠慮しなくて良いんだよ?」
陽菜「わ、私はどれでも……」
『どれでも良い』と言いかけた陽菜は、口を閉ざす。
陽菜(遠慮しなくて良いって言われたし。やっぱりここは、ちゃんと自分の希望を言うべきかな?)
陽菜(伊月くんとは、これから家族になるんだもん)
陽菜「えっと、私はチョコレートケーキが良い」(※遠慮がちに小声になる)
伊月「了解。はい、どうぞ」
伊月が箱からチョコレートケーキを取り出し、陽菜のお皿にのせてくれる。
陽菜「ありがとう」
さっそくフォークでチョコレートケーキに切り込みを入れながら、陽菜はふと思う。
陽菜(……そういえば、伊月くん。付き合っていた頃に、チョコレートが好きって話していたような。)
・学ラン姿の中学生の伊月が、『俺、チョコレートが好きだから。ケーキでもお菓子でも、チョコには目がないんだよなぁ』と、笑顔で陽菜に話す回想。
そのことを思い出した陽菜はチョコレートケーキを真ん中で半分に切って、伊月のお皿にそっとのせた。
伊月「え?」
陽菜「伊月くん、確かチョコレートが好きだったよね? だから……ケーキ、はんぶんこしよ?」(※チョコレートケーキは、ひとつしかないため)
伊月「陽菜……」
※自分がチョコレート好きだと覚えていてくれた陽菜に、胸がじんとする。
陽菜「私もどうせ食べるなら、伊月くんと一緒に楽しみたいから」
伊月「……ありがとう。それじゃあ、俺のも半分どうぞ」
伊月は自分が食べようとしていたイチゴのショートケーキを真ん中で切り分け、陽菜のお皿にのせる。
そんな陽菜と伊月の様子を見ていた光佑と翔子は、嬉しそうに目を細める。
それから佐野家で同居して、1週間ほどが過ぎていく。
・リビングのソファに並んで座って、一緒にテレビを観る陽菜と伊月。
・家族みんなで、食卓を囲む絵
〇4月上旬の夜。佐野家のリビング
伊月「陽菜、お風呂どうぞ」
夕食後、先にお風呂に入った伊月が陽菜に声をかける。
※お風呂上がりの伊月はスウェット姿で、首からさげたタオルで濡れた髪を拭いている。
その姿を見た陽菜は、ドキドキ。
陽菜(うわ、伊月くん。髪がまだ濡れてるからか、なんだかいつもよりも色っぽい……!)
陽菜「う、うん。お風呂入るね」
立ったまま髪を拭く伊月の横を通り過ぎる際にふわっとシャンプーの香りがし、陽菜の心臓がドキッと跳ねる。
伊月「……陽菜」
自分のそばを通り過ぎる陽菜の腕を、伊月が突然つかんだ。
陽菜「な、なに?」
伊月「お風呂から出たら、俺の部屋に来てくれる?」
陽菜(……え?)