白百合なんて似合わない
24.

 それから徐々に人が引いていくのと同じく時は過ぎていき、ある程度人が捌けていった。だが新たに得た情報といえば、誰も彼も条件としてはライボルトに劣っている者ばかりいうことだけだ。
 ハイゲンシュタイン家との婚姻は元々近い親戚関係にあるだけあって、利益こそ少ないが損失はゼロだ。内情もよく知っていて、後から発生するリスクもない。あったとしてもそれは遅かれ早かれハリンストン家にも関わるものだろうから、ハイゲンシュタインの人間になった時にのみ発生するものではない。
 今宵の収穫を元に、ライボルトよりも好条件もしくは同条件の婚姻を望むとすれば、相手に選ぶのは、エリオット=ブラントン、リガード=ブラッド、アドルフ=シュタイナー、タイロン=ファラデーの4人だ。
 だがそのうちのアドルフ=シュタイナーは結婚間近と言われる、比較的仲の良い婚約者がいる。タイロン=ファラデーは前回の夜会で手短な挨拶のみで去っていたこと、そして今晩は姿が見えないところからして、私との婚姻は望んでいないと断言できる。だが計算高いことで有名なファラデー家がこの競争に乗ってこないというのは考えづらい。おそらくすでにペシャワールとコンタクトを取っているのだろう。三家の当主陣の顔を思い浮かべてみると、ハリンストンとペシャワールではファラデーにとっては真っ直ぐとした毅然とした態度を崩さないペシャワールの方が相性が良いのだろう。ハリンストンはケースバイケース、動き分けを得意とするタイプでファラデーと似ていると言えば似ているが、相性はあまりいいとは言えないのだろう。
 そしてリガード=ブラッドは、ユリアンナ相手にエリオットの友人と自己紹介しただけのことはあり、先ほどまでは会場内にいたのだが……今はどこにも姿は見えない。その理由は不明だがおそらく彼も私とのお相手として乗ってくることはないだろう。
 残るはエリオット=ブラントンだが、こちらはすでに断っている。
 やはりライボルトと結婚するのが一番か……と社交ラッシュ1日目にして早くも私の中ではそう結論づける。もちろんお父様やお母様と相談はしてみるが、2人とも止めはしないだろう。

 
 人が切れた瞬間を察して、他に悟られないように会場から姿をくらます。さすがに疲れたし、代わる代わるやってくる相手の熱気に当てられてきた。少し夜風に当たって熱を冷まそうと、ほんの少しだけ空いた窓からバルコニーへと身体を滑らせた。
 満天の星空と、半分ほど欠けた月の下、吹く風はほどよく冷たくて気持ちがいい。そろそろ季節も変わる頃合い、もう一つまた季節が巡る頃にはきっと誰かしらとの婚姻の話が進んでいることだろう。それは今のところ、高確率でライボルトだ。
 ライボルトとの結婚生活か……。まだ早い話かもしれないが、それは容易に想像できる。
 寝室はきっと本棚に囲まれていることだろう。そして毎晩本に対する愛を語り合うのだ。離れた時を埋めるように、そして2人でこれからの一生を歩むように、愛おしいそれに指を這わせて内緒話でもするようにお互いに見つけあったものを見せ合うのだ。
「ふふふ」
 ロマンス小説のようにはいかないけれど、それはそれで幸せな生活だ。想像してみると、たった一人のバルコニーで潜めたはずの笑い声がこぼれてしまう。
「楽しそうですね。何があなたを喜ばせるのか、よろしければお聞かせ願えませんか?」
 一人きりだと思っていたからこそ、不気味な笑い声も恥ずかしくはなかった。けれど振り返り、そこに人影が見えたことで一気に顔が紅潮する。
「すみません、あなたの時間を邪魔するつもりはなかったのですが……」
 現れたのは私がバルコニーへと出てくる時ですら何人ものご令嬢方に囲まれていた、エリオット=ブラントンだった。本日の主役といっても過言ではない彼がなぜここにいるのかは疑問だが、それよりもハリンストン家の令嬢が一人で思い出し笑いをしていた、なんて噂が立たないように弁解するのが先だ。
「空が綺麗だったものですから、つい童話の一幕を思い出してしまったのです」
「『星くずのキャンディ』ですね」
「ええ」
 とっさに考えたにしてはまずまずの内容だ。
『星くずのキャンディ』はリットラー王国に生まれたからには、貴族平民問わず誰もが知っている童話だ。

 とある少女に恋した少年が、少女のために空に輝く星を取ろうとする話だ。当然のことながら遠く離れた星に手は届かない。そして少年は小さなキャンディを星なのだと嘘をついて少女へと渡した。もちろん少女はそれが嘘だと分かっていた。けれど少年が自分のために手を伸ばしてくれたことが嬉しかったのだ。こうして思いが通じあった2人は大人になると結婚して、幸せな家庭を作りました――というストーリーだ。
 思いやりの大切さを伝えるための物語なのだが、そのお話しを聞かされた幼い子どもは大抵、少年の身長がもっと高ければ届いたのではないかとか、自分なら取れるのではないかと少年のように台に乗って手を伸ばすのだ。
「大人になった今なら星に、手が届くと思いますか?」
 夜空で一番輝く星に標的を定め、尋ねてくるエリオットもまた、夜空で輝く星に手を伸ばしたのだろう。
 懐かしい、幼かった頃の話だ。
「いいえ。ですが星は空にいてこそ輝くものですから」
 あの頃から成長した今なら、星に手が届くわけもないことを知っている。それは人が手を伸ばしても届くわけもないほどに、遠い場所の存在だから。だが私は届かないからこそ、人は星を美しいものだと認識しているのだと思っている。この手に収めてしまったら、意外とつまらないものだと思ってしまうだろうと。だからこれくらいの距離がちょうどいいのだ。
「私との縁談をもう一度考えていただくキッカケとして、あの星をプレゼントしたかったのですが……残念です」
「エリオット様との縁談を、ですか?」
「一度は断られてしまいましたが、どうしてもまだ諦めきれないのです。ご迷惑でなければもう一度、当家との縁談を考えてはいただけませんか?」
 1度目は『私』、そして2度目に彼は『当家』と、縁談の相手をそう表した。これらは個人の意思ではなく、ブラントン家の意思であることを明確に伝えるためだろう。
 断られてもまだなお食らいつくほどにはブラントン家にとってハリンストンの娘は価値があるものなのだ。そしてハリンストンにとっても悪い話ではないだろうとよく理解しているからこその申し出でもある。
「私個人では決めかねますので」
「返事は今でなくとも構いません。いい返事を、お待ちしております」
 そう言い残すとエリオットは一足先に屋敷の中へと戻っていった。彼は一度だって貴族の仮面を外しはしなかった。あくまで交渉の場だったというわけだ。私達の間に愛なんてものは存在しない。あるのは互いの家の利益が絡む損得勘定のみだ。夫婦円満になどなりはしない。どんなに頑張ろうがなれるのは、この夜空のような関係だ。
 星だけ見れば一面の銀世界。だが月をみれば半分ほども欠けてしまっている。
 私達は社交界という舞台で美しい星を演じ、そして家に帰ればポッカリと愛情が欠けた家庭に落ち着くのだ。どんなにロマンチックな場所で2人きりで語らい合おうが、私達は小説の中の登場人物にはなり得ない。
 身をもって現実を知り、そしてその世界に全身で浸ってしまっているのだから。


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