白百合なんて似合わない
14.
「またいつでもいらしてくださいね!」
悩み事も消え、サッパリした表情でミランダに見送られながら、私達はその足でライボルトの待つハイゲンシュタイン邸へと向かった。
いくらハリンストンの親戚関係にあるとはいえ、ハイゲンシュタイン家までは少し距離がある。ハリンストン邸から遠ざかり、馬車で揺られる度に、エリオットの表情は再び強張っていく。いや、ハリンストン邸に向かう際のアレはただの緊張だったのではないかと思うほどに今の彼の表情は固い。
「エリオット様? そんなに緊張なさらなくても……」
そんな私の言葉さえも聞こえていないようである。たかだか妻の従兄弟に会いにいくだけだというのにこの緊張はないだろう、と言いたいところだが、エリオットもエリオットなりに考えることがあるのだろう。
「久しぶり、でもねぇか。ユタリア、元気だったか?」
「御機嫌よう、ユタリア様」
私達2人を迎えてくれたのは、ライボルトだけではなくリーゼロット様も、だった。
おそらくライボルトから私達が今日ハイゲンシュタイン邸にやってくることを聞かされていたのだろう。目的は聞かずとも、彼女の爛々と輝く目を見ればわかる。これはあくまで予想でしかないのだが、客間に通されれば私の前には何冊もの本が積み上げられることだろう。それも私好みの。
早速客間に通された私は以前のように、使用人の手で大量の本が運ばれてくるものだろうと期待したのだが、それはこの状況で今なお、緊張状態を崩そうとはしないエリオットによって阻まれた。
「ライボルト様。私の妻が本を貸していただいたようで、ですが今後はこのようなことがないよう、妻には言って聞かせますので」
ミランダの時は彼女の一方的な睨みから始まっていたのだが、今度はエリオットがライボルトを敵視している様な気がしてならない。それに対して当のライボルトといえば嬉しそうにニコニコと、いやニヤニヤとしながら、エリオットが机に滑らせるようにして差し出した本を受け取った。
「いやぁ、前から嫌われてるとは思っていたが、まさかここまで敵視されてるとはなぁ……」
「エリオット様……。私の口から言うのもどうかとは思ったのですが、ここは正直に言わせていただきます。嫉妬深い男性は嫌われますわよ?」
「なっ……」
「あ、なら俺からも言わせてもらおう。俺達を牽制してるだけじゃ何も進まないぞ? あんたも薄々気づいているんだろうが……ユタリアは自分に向けられた好意にひどく鈍感だ」
「そ、そんなことは!!」
ない、と言い切れないのは今回の一件があったからである。エリオットが私のことを思ってくれていたなんて、言われるまで全然気づかなかったんだもの……。今回のことがなかったら一生かかっても分からない、なんてことも十分にあり得る話である。
だがそれはきっとエリオットが隠すのが上手かっただけで……。そう続けようとすると、リーゼロット様は遠い目をしながら衝撃な事実を落とす。
「ユタリア様。私、てっきりユグラド王子の時や学園時代、いくつも寄せられる想いを分かっていて敢えて気づかないフリをしているのだとばかり思っておりましたの」
「え?」
「やっぱり気付いてなかったんだな。だろうと思ったが……これでわかっただろエリオット。ユタリアは想像以上に鈍感だ。ユラからロマンス小説を借りて、少しは気付くかと思ってたんだが……全くその兆しはない。この手のことは面倒臭がらず言葉にしねぇとまたすれ違うぞ?」
私ってそんなに鈍感なのかしら……。ライボルトとリーゼロット様に「頑張れ」と肩を叩かれるエリオット。さすがにもう彼も嫌がる様子はない。ライボルトを敵視するのを辞めさせてくれたのは嬉しいけど、思いを伝えて数日しか経っていない相手に変なイメージを植え付けるのは遠慮していただきたい。
いや、私が鈍感なのが悪いんだけどね!
だってあの時はいかにやり過ごすかしか考えていなかったのだ。だがそのお陰でユグラド王子はクシャーラ様と結ばれ、私はエリオットと結ばれた。……結果としてみんな幸せになれたのだから良かったのだろう。終わりよければ全てよしである!
帰り際、リーゼロット様はハイゲンシュタイン家の使用人を呼びつけて数冊の本を私に見繕ってくれた。もうすっかりハイゲンシュタインの未来の奥方様である。そう思うと自然と頬が緩んでしまう。
「じゃあな、ユタリア」
「感想、お待ちしておりますわ」
去り際にライボルトからは抱擁を、そしてリーゼロットの熱い握手を求められた。こうして顔を合わせる度にリーゼロット様からのスキンシップが増えるのはライボルトの影響だろう。……だが、エリオットは目の前の事実が信じられないといったように震えている。
私もリーゼロット様もライボルトとのスキンシップにすっかり慣れてしまったのだが、よくよく思い返せばリッター王国に抱擁の文化はない。ライボルトのそれは異国から嫁いできた叔母様であり、エリオットには衝撃的な光景に映ったのだろう。
その時は口に出すことはなかったのだが、2人きりになった途端にエリオットはあの行為の説明を求めた。
「あなたとライボルト様はいつもあんな風に……その……抱擁をするのか?」
「ライボルトと、ですか? はい、します」
「ハリンストン家やハイゲンシュタインの習慣のようなものなのか?」
「習慣といいますか、ライボルト限定と言いますか……」
「限定!?」
「いえ、他の親戚ともすることはありますが、ライボルトだけ頻度が多いといいますか……」
あればかりはライボルトの性格だろう。彼の態度は興味があるとないのでは雲泥の差が生じる。興味がない相手には抱擁どころかろくな見送りしかしない男だ。だが私が彼の同士だからだろう。強さや時間は違えど、昔から必ず顔を合わせるたびにそうして来たのだ。ライボルトのあの行動は『友愛』を意味するもので、それ以上の意味などないのだが……それを補足する暇などないまま、エリオットはウンウンと唸り始めてしまった。
その翌朝も説明するタイミングをすっかり逃してしまい、エリオットが帰ってきたら今日こそはちゃんとあの行動の意味を説明しよう!――と決意していたのだが、彼までもライボルトの影響を受けたのか、帰って来るやいなや私へとズンズンと近寄り、そしてその勢いからは考えられないほどに優しく私を包み込んだ。
「エリオット、様? どうかなさいましたか?」
エリオットなりにあの行動の意味を理解したのかもしれないが、それにしても唐突だ。ライボルトの抱擁のように私にもその行動の意味が伝わっていれば、焦りはしないのだが、こうも唐突に抱きしめられると、妙に胸のあたりがバクバクと忙しなく脈を打つ。
エリオットの背中をトントンと叩き、訳を説明してくれと急かすと、彼は私と少しだけ距離を取った。そしてその手に収まっていた大きな花束を私へと差し出した。
「ユタリア、受け取って欲しい」
全て白百合で構成された花束だ。それを包み込む包装も、リボンでさえも全て真っ白い。
「白百合、ですか? ……私には似合わないでしょう?」
『窓際の白百合』としての私しか知らなかった頃ならともかく、エリオットはユリアンナとしての、素の私のことも知っているのだ。それなのに白百合を差し出すなんて……まさかエリオットは未だに白百合としての私に幻想でも抱いているのだろうか?
憧れていてくれたのなら、信じたくないという気持ちがあったとしてもおかしくはないだろう。それに、名家ブラントンの妻となるのなら、『窓際の白百合』と称されていた姿でい続けた方が体裁がいいはずだ。そう思うと胸の辺りがギュッと締め付けられる。
「私は、『窓際の白百合』と呼ばれた君に憧れて、けれど城下町で会ったユリアンナにも惹かれた……。どちらも私にとって大事な女性で……その、だから、ユタリアにはこれからも私の隣にいて欲しい」
「エリオット様……」
それはあまりに拙い言葉であったが、私の不安を解消するには十分すぎる言葉だった。
「ちゃんと言葉にしてなかったからな……。受け取ってくれるか?」
返事なんてもちろん決まっている。エリオットから白百合の花束を受け取って、そしてそのまま彼に抱き着いた。
今もまだ、私には白百合なんて似合わない。けれどそれでいいのだ。今ならそれでもいいと思える。だってもう私は人目を気にして窓際に佇む必要はないのだから。
私の場所はもう窓際なんかじゃない。エリオットの、愛する男の隣である。
「またいつでもいらしてくださいね!」
悩み事も消え、サッパリした表情でミランダに見送られながら、私達はその足でライボルトの待つハイゲンシュタイン邸へと向かった。
いくらハリンストンの親戚関係にあるとはいえ、ハイゲンシュタイン家までは少し距離がある。ハリンストン邸から遠ざかり、馬車で揺られる度に、エリオットの表情は再び強張っていく。いや、ハリンストン邸に向かう際のアレはただの緊張だったのではないかと思うほどに今の彼の表情は固い。
「エリオット様? そんなに緊張なさらなくても……」
そんな私の言葉さえも聞こえていないようである。たかだか妻の従兄弟に会いにいくだけだというのにこの緊張はないだろう、と言いたいところだが、エリオットもエリオットなりに考えることがあるのだろう。
「久しぶり、でもねぇか。ユタリア、元気だったか?」
「御機嫌よう、ユタリア様」
私達2人を迎えてくれたのは、ライボルトだけではなくリーゼロット様も、だった。
おそらくライボルトから私達が今日ハイゲンシュタイン邸にやってくることを聞かされていたのだろう。目的は聞かずとも、彼女の爛々と輝く目を見ればわかる。これはあくまで予想でしかないのだが、客間に通されれば私の前には何冊もの本が積み上げられることだろう。それも私好みの。
早速客間に通された私は以前のように、使用人の手で大量の本が運ばれてくるものだろうと期待したのだが、それはこの状況で今なお、緊張状態を崩そうとはしないエリオットによって阻まれた。
「ライボルト様。私の妻が本を貸していただいたようで、ですが今後はこのようなことがないよう、妻には言って聞かせますので」
ミランダの時は彼女の一方的な睨みから始まっていたのだが、今度はエリオットがライボルトを敵視している様な気がしてならない。それに対して当のライボルトといえば嬉しそうにニコニコと、いやニヤニヤとしながら、エリオットが机に滑らせるようにして差し出した本を受け取った。
「いやぁ、前から嫌われてるとは思っていたが、まさかここまで敵視されてるとはなぁ……」
「エリオット様……。私の口から言うのもどうかとは思ったのですが、ここは正直に言わせていただきます。嫉妬深い男性は嫌われますわよ?」
「なっ……」
「あ、なら俺からも言わせてもらおう。俺達を牽制してるだけじゃ何も進まないぞ? あんたも薄々気づいているんだろうが……ユタリアは自分に向けられた好意にひどく鈍感だ」
「そ、そんなことは!!」
ない、と言い切れないのは今回の一件があったからである。エリオットが私のことを思ってくれていたなんて、言われるまで全然気づかなかったんだもの……。今回のことがなかったら一生かかっても分からない、なんてことも十分にあり得る話である。
だがそれはきっとエリオットが隠すのが上手かっただけで……。そう続けようとすると、リーゼロット様は遠い目をしながら衝撃な事実を落とす。
「ユタリア様。私、てっきりユグラド王子の時や学園時代、いくつも寄せられる想いを分かっていて敢えて気づかないフリをしているのだとばかり思っておりましたの」
「え?」
「やっぱり気付いてなかったんだな。だろうと思ったが……これでわかっただろエリオット。ユタリアは想像以上に鈍感だ。ユラからロマンス小説を借りて、少しは気付くかと思ってたんだが……全くその兆しはない。この手のことは面倒臭がらず言葉にしねぇとまたすれ違うぞ?」
私ってそんなに鈍感なのかしら……。ライボルトとリーゼロット様に「頑張れ」と肩を叩かれるエリオット。さすがにもう彼も嫌がる様子はない。ライボルトを敵視するのを辞めさせてくれたのは嬉しいけど、思いを伝えて数日しか経っていない相手に変なイメージを植え付けるのは遠慮していただきたい。
いや、私が鈍感なのが悪いんだけどね!
だってあの時はいかにやり過ごすかしか考えていなかったのだ。だがそのお陰でユグラド王子はクシャーラ様と結ばれ、私はエリオットと結ばれた。……結果としてみんな幸せになれたのだから良かったのだろう。終わりよければ全てよしである!
帰り際、リーゼロット様はハイゲンシュタイン家の使用人を呼びつけて数冊の本を私に見繕ってくれた。もうすっかりハイゲンシュタインの未来の奥方様である。そう思うと自然と頬が緩んでしまう。
「じゃあな、ユタリア」
「感想、お待ちしておりますわ」
去り際にライボルトからは抱擁を、そしてリーゼロットの熱い握手を求められた。こうして顔を合わせる度にリーゼロット様からのスキンシップが増えるのはライボルトの影響だろう。……だが、エリオットは目の前の事実が信じられないといったように震えている。
私もリーゼロット様もライボルトとのスキンシップにすっかり慣れてしまったのだが、よくよく思い返せばリッター王国に抱擁の文化はない。ライボルトのそれは異国から嫁いできた叔母様であり、エリオットには衝撃的な光景に映ったのだろう。
その時は口に出すことはなかったのだが、2人きりになった途端にエリオットはあの行為の説明を求めた。
「あなたとライボルト様はいつもあんな風に……その……抱擁をするのか?」
「ライボルトと、ですか? はい、します」
「ハリンストン家やハイゲンシュタインの習慣のようなものなのか?」
「習慣といいますか、ライボルト限定と言いますか……」
「限定!?」
「いえ、他の親戚ともすることはありますが、ライボルトだけ頻度が多いといいますか……」
あればかりはライボルトの性格だろう。彼の態度は興味があるとないのでは雲泥の差が生じる。興味がない相手には抱擁どころかろくな見送りしかしない男だ。だが私が彼の同士だからだろう。強さや時間は違えど、昔から必ず顔を合わせるたびにそうして来たのだ。ライボルトのあの行動は『友愛』を意味するもので、それ以上の意味などないのだが……それを補足する暇などないまま、エリオットはウンウンと唸り始めてしまった。
その翌朝も説明するタイミングをすっかり逃してしまい、エリオットが帰ってきたら今日こそはちゃんとあの行動の意味を説明しよう!――と決意していたのだが、彼までもライボルトの影響を受けたのか、帰って来るやいなや私へとズンズンと近寄り、そしてその勢いからは考えられないほどに優しく私を包み込んだ。
「エリオット、様? どうかなさいましたか?」
エリオットなりにあの行動の意味を理解したのかもしれないが、それにしても唐突だ。ライボルトの抱擁のように私にもその行動の意味が伝わっていれば、焦りはしないのだが、こうも唐突に抱きしめられると、妙に胸のあたりがバクバクと忙しなく脈を打つ。
エリオットの背中をトントンと叩き、訳を説明してくれと急かすと、彼は私と少しだけ距離を取った。そしてその手に収まっていた大きな花束を私へと差し出した。
「ユタリア、受け取って欲しい」
全て白百合で構成された花束だ。それを包み込む包装も、リボンでさえも全て真っ白い。
「白百合、ですか? ……私には似合わないでしょう?」
『窓際の白百合』としての私しか知らなかった頃ならともかく、エリオットはユリアンナとしての、素の私のことも知っているのだ。それなのに白百合を差し出すなんて……まさかエリオットは未だに白百合としての私に幻想でも抱いているのだろうか?
憧れていてくれたのなら、信じたくないという気持ちがあったとしてもおかしくはないだろう。それに、名家ブラントンの妻となるのなら、『窓際の白百合』と称されていた姿でい続けた方が体裁がいいはずだ。そう思うと胸の辺りがギュッと締め付けられる。
「私は、『窓際の白百合』と呼ばれた君に憧れて、けれど城下町で会ったユリアンナにも惹かれた……。どちらも私にとって大事な女性で……その、だから、ユタリアにはこれからも私の隣にいて欲しい」
「エリオット様……」
それはあまりに拙い言葉であったが、私の不安を解消するには十分すぎる言葉だった。
「ちゃんと言葉にしてなかったからな……。受け取ってくれるか?」
返事なんてもちろん決まっている。エリオットから白百合の花束を受け取って、そしてそのまま彼に抱き着いた。
今もまだ、私には白百合なんて似合わない。けれどそれでいいのだ。今ならそれでもいいと思える。だってもう私は人目を気にして窓際に佇む必要はないのだから。
私の場所はもう窓際なんかじゃない。エリオットの、愛する男の隣である。