捨てられた彼女は敏腕弁護士に甘く包囲される
「どうしたんですか、莉子さん。ぼーっとしちゃって」

ひょっこり現れた桃香ちゃんに指摘されるくらい、気がそぞろになっていたようだ。

「ああ、うん、ごめん、なんでもな――」

桃香ちゃんの方に顔を向けた瞬間、鼻を掠めるあの匂い。
甘い花とジャスミンのフローラルノートが広がる。
心臓がドックンと嫌な音を立てた。

「……桃香ちゃん、香水付けてる? 飲食店では香水は厳禁よ。お料理がおいしく感じられなくなったり、人によっては不快に感じられることもあるから、こういう場所では相応しくないの」
「あー、そんなに匂いますか?すみません、洋服に一吹きしただけなんですけど」
「うん、それでもダメ。私も最初にきちんと伝えてなかったからいけないけど、ソレイユで働く以上、アルバイトでも自覚を持ってもらえるかな」

ソレイユのオーナーとして、従業員に注意しただけ。飲食店で働く基本的なことを教えているだけ。それなのに、いつもよりも口調がきつくなっているのが自分でもわかる。

だって、この香水は、雄一が付けて帰ってきたあの匂いと一緒なんだもの。

「まあまあ、莉子。俺たちがちゃんと桃香に教えてなかったのがいけないんだし。桃香もこれからは気をつけてくれよ」
「はぁい、ごめんなさい」
「今日はもう桃香はキッチンに入ってもらって、ホールは莉子に任せてもいいか?桃香も、それでいいよな?」
「わかりましたぁ」
「……わかった」

頷いたものの、私は何も納得していない。ただ、今は仕事中だからこれ以上ごたごたしたくないだけ。桃香ちゃんの香水のことも、雄一が桃香ちゃんをかばうことも、雄一が「桃香」って呼ぶことも、何もかもが疑惑の延長線上にあって、それを確かめるすべは今はもう何もない。
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