ヴァンパイアと百合の花
第一話
「本日よりこちらでお世話になります、リリアーヌ・オラールと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
大きな洋館の玄関を入ってすぐ。深々と頭を下げたリリアーヌに対して、階段の上に立つ冷たい印象を持つ男性は。
赤々とした瞳で、静かにリリアーヌを見下ろした。
ユリウス・マイヤー。この日から、リリアーヌの夫となる人物だった。
***
オラール家は貴族の家系である。代々続く由緒正しい血筋ではあったが、金はなかった。貧乏貴族であるオラール家は、誇りだけは失わずにいたものの、いつも金策に悩まされていた。
そんな折、リリアーヌに舞い込んだ縁談。「マイヤー家三男であるユリウスに嫁いでくれるなら、望むだけの結納金を支払う」という。
マイヤー家の言い分としては、オラール家の血筋が欲しいとのことだった。外国から移住してきたマイヤー家は、金はあるが社交界ではよそ者扱いされてしまう。
長男と次男は既に結婚しているが、三男は少々変わり者で、未だに相手が見つからない。歳は二十五で、二十歳となったリリアーヌとはちょうど良いだろうと。
これはオラール家にとって願ってもない話だった。マイヤー家の者達は皆紳士淑女であったし、家柄だけで遠ざけられているのであれば、社交界への仲介を請け負うのは人助けにもなる。金に飛びついて娘を売った、などという醜聞も立たない。
それにユリウスが少々変わり者だと言うのなら、リリアーヌこそ少々どころではない変わり者であった。そのせいで、婚約者も見つからないまま二十代を迎えてしまった。
行き遅れた娘など、両親にとっては貧乏以上に頭痛の種である。その両方がいっぺんに解消されるとあれば、諸手を挙げて喜びたくもなる。
しかしもちろん懸念点はある。こんな条件をつけるからには、ユリウスはろくでもない男なのかもしれない。だから最終決定はリリアーヌ本人に任せようと、両親は娘の意向を尋ねた。
マイヤー家は裕福であるから、きっと今後も暮らしには困らないこと。家族の誰もが美しいから、きっとユリウスも美しい男性であるに違いないこと。少々気難しいくらいが、リリアーヌにとっても相性が良いだろうこと。
なるべく気乗りしそうな言葉を並べたが、そのどれもにリリアーヌは渋い顔をしていた。
しかし、彼女が顔色を変えたのは意外なところだった。
「屋敷は森深くにあって、滅多に人も寄らないそうだ。それに、ユリウス様は夜に活動することが多く、昼間の喧騒を嫌って使用人を雇われていないらしい。だから寂しい思いをするかもしれないが、いつでも私達に会いに来て良いから」
「行きます!」
「えぇ!?」
娘を気遣った父親の言葉に、しかしリリアーヌは瞳を輝かせて答えた。
実のところ、リリアーヌは家族以外の他人が苦手であった。だから社交界でも人付き合いがうまくいかず、殿方に見初められたこともない。
オラール家は貧乏であるため、使用人は代々仕えている僅かな人数しかおらず、家のことは自分達で一通りできるように教育されている。
使用人がいないことなど、リリアーヌにとってはちっとも問題でなかった。むしろ、余計な気を遣う必要のない環境は、リリアーヌにとっては理想とも言えた。
気難しい人物ならば、あまり親しくする必要はないだろう。
向こうは三男であるし、オラール家にも長男がいる。リリアーヌが跡継ぎを産めなくても問題はない。仮面夫婦で良いじゃないか。
ここで嫁いでおけば、この先一生結婚についてとやかく言われることはないのだ。
結婚に纏わる煩わしさから解放されると、リリアーヌは喜んでこの縁談を引き受けた。
誰が傷つくこともない、皆が幸福を手に入れる、円満な結婚。
この時は、本気でそう信じていた。
大きな洋館の玄関を入ってすぐ。深々と頭を下げたリリアーヌに対して、階段の上に立つ冷たい印象を持つ男性は。
赤々とした瞳で、静かにリリアーヌを見下ろした。
ユリウス・マイヤー。この日から、リリアーヌの夫となる人物だった。
***
オラール家は貴族の家系である。代々続く由緒正しい血筋ではあったが、金はなかった。貧乏貴族であるオラール家は、誇りだけは失わずにいたものの、いつも金策に悩まされていた。
そんな折、リリアーヌに舞い込んだ縁談。「マイヤー家三男であるユリウスに嫁いでくれるなら、望むだけの結納金を支払う」という。
マイヤー家の言い分としては、オラール家の血筋が欲しいとのことだった。外国から移住してきたマイヤー家は、金はあるが社交界ではよそ者扱いされてしまう。
長男と次男は既に結婚しているが、三男は少々変わり者で、未だに相手が見つからない。歳は二十五で、二十歳となったリリアーヌとはちょうど良いだろうと。
これはオラール家にとって願ってもない話だった。マイヤー家の者達は皆紳士淑女であったし、家柄だけで遠ざけられているのであれば、社交界への仲介を請け負うのは人助けにもなる。金に飛びついて娘を売った、などという醜聞も立たない。
それにユリウスが少々変わり者だと言うのなら、リリアーヌこそ少々どころではない変わり者であった。そのせいで、婚約者も見つからないまま二十代を迎えてしまった。
行き遅れた娘など、両親にとっては貧乏以上に頭痛の種である。その両方がいっぺんに解消されるとあれば、諸手を挙げて喜びたくもなる。
しかしもちろん懸念点はある。こんな条件をつけるからには、ユリウスはろくでもない男なのかもしれない。だから最終決定はリリアーヌ本人に任せようと、両親は娘の意向を尋ねた。
マイヤー家は裕福であるから、きっと今後も暮らしには困らないこと。家族の誰もが美しいから、きっとユリウスも美しい男性であるに違いないこと。少々気難しいくらいが、リリアーヌにとっても相性が良いだろうこと。
なるべく気乗りしそうな言葉を並べたが、そのどれもにリリアーヌは渋い顔をしていた。
しかし、彼女が顔色を変えたのは意外なところだった。
「屋敷は森深くにあって、滅多に人も寄らないそうだ。それに、ユリウス様は夜に活動することが多く、昼間の喧騒を嫌って使用人を雇われていないらしい。だから寂しい思いをするかもしれないが、いつでも私達に会いに来て良いから」
「行きます!」
「えぇ!?」
娘を気遣った父親の言葉に、しかしリリアーヌは瞳を輝かせて答えた。
実のところ、リリアーヌは家族以外の他人が苦手であった。だから社交界でも人付き合いがうまくいかず、殿方に見初められたこともない。
オラール家は貧乏であるため、使用人は代々仕えている僅かな人数しかおらず、家のことは自分達で一通りできるように教育されている。
使用人がいないことなど、リリアーヌにとってはちっとも問題でなかった。むしろ、余計な気を遣う必要のない環境は、リリアーヌにとっては理想とも言えた。
気難しい人物ならば、あまり親しくする必要はないだろう。
向こうは三男であるし、オラール家にも長男がいる。リリアーヌが跡継ぎを産めなくても問題はない。仮面夫婦で良いじゃないか。
ここで嫁いでおけば、この先一生結婚についてとやかく言われることはないのだ。
結婚に纏わる煩わしさから解放されると、リリアーヌは喜んでこの縁談を引き受けた。
誰が傷つくこともない、皆が幸福を手に入れる、円満な結婚。
この時は、本気でそう信じていた。
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