ヴァンパイアと百合の花
第六話
「わああああ……!」
部屋の中の光景を目にして、リリアーヌは瞳を輝かせた。
猫、猫、猫。どこを見ても猫だらけ。様々な猫達が、はたきや雑巾を使って器用に部屋を掃除している。中に小さな人間でも入っているかのようだった。
「この猫達、皆ユリウス様の使い魔なの!?」
「そんなわけないでしょ。使い魔になるためには、御主人様の血を分けてもらう神聖な儀式が必要なの。あたしは猫達と意思疎通ができるから、近くの猫達を集めて仕事をしてもらってるのよ。報酬は食料を分け与えているわ」
「ふわあああ。賢いのねぇ」
部屋中に散らばる猫達を眺めて、リリアーヌはうずうずしていた。
こんなにたくさんの猫達といられるなんて、夢みたいだ。
「わたしも、何かお手伝いさせて!」
「要らないわ、邪魔よ」
「そんな!?」
一蹴されて、リリアーヌは半べそをかいた。
それに絆されることなく、エイダは淡々と告げる。
「言ったでしょう、あたし達は静かに動けるけれど、あんたがばたばた音を立てたらうるさくてかなわないわ。それに、普通の猫とは会話できないでしょう。いちいち仲介するのは嫌よ」
「そんなぁ……」
「貴族のお嬢様らしく、お淑やかに刺繍でもしてたら」
ツンと顔を背けられ、リリアーヌは肩を落とした。
確かに、自分が猫達に混じって掃除をするのはあまり良い案とは言えない。
リリアーヌが動き回れば猫達よりずっと大きな音が立つし、人間よりも遥かに小さな体躯の猫達を蹴り飛ばしてしまうかもしれない。
残念ながら、エイダの言う通りに大人しくしていた方が良いだろう。
とぼとぼと落ち込んだ様子で部屋を出て行ったリリアーヌの背中に、高い声がかかった。
「ねえ、ちょっと!」
リリアーヌが振り返ると、ばつが悪そうな顔をしたエイダが、ゆらゆらと尻尾を揺らしていた。
「も……もし、暇で、暇で暇でしょーがないって言うのなら、料理でもしたらどうかしら」
「え? でも」
「サルマーレは煮込み料理だから、時間がかかるわよ」
サルマーレ。具体的な料理名にリリアーヌがエイダを見つめるも、エイダは目を逸らしたまま合わせようとしなかった。
その様に、リリアーヌは小さく笑みを零す。
「ありがとう。夕食はそれにするわ」
ふんと鼻を鳴らして、エイダは掃除中の部屋に戻っていった。
(サルマーレ……食べたことがないわ)
マイヤー家は外国から移住してきたという。であれば、ユリウスの故郷の料理なのかもしれない。
エイダにレシピを聞いておくべきだったか、と思いながらも、忙しそうにしていたから、そこまで面倒は見てくれないだろう。
書庫に行けばレシピ本があるだろうか、とリリアーヌは書庫に足を向けた。
「やっぱり凄いわね……」
一度覗いただけだった書庫を改めて見回して、リリアーヌはその豊富な蔵書に感嘆の息を吐いた。
ユリウスは一人でこの屋敷にいる。時間を潰すための娯楽は、彼にとって重要なのかもしれない。小難しそうな専門書から娯楽性の高い大衆小説まで、種類は様々だった。
それらに目を奪われつつも、目的の物を探して、本を手にとっては中身を確認し、棚に戻す。
何度か繰り返していると、レシピ本に辿り着いた。
「あった。これだわ」
サルマーレ。肉と野菜を混ぜたタネを一口大に丸め、それを酢漬けにしたキャベツで包み、トマトのスープで煮込んだもの。
材料と手順を確認し、自分でも作れそうなことにリリアーヌは安堵の息を吐いた。
エイダの言った通り時間も手間もかかりそうだが、できないことはない。
酢キャベツが必要だが、それは常備されているのを確認しているため仕込みは必要ない。
煮込むのに時間がかかると言っても、今から作り始めるには早すぎるだろう。
そう考え、リリアーヌはそのまま書庫で時間を潰すことにした。
「ユリウス様は、どんな本がお好きなのかしら……」
これだけの数があれば、好みの本だけとは限らないが、共用ではなく個人所有の蔵書なのだから、少なくとも嫌いな本を置いたままにはしておかないだろう。
娯楽本が並んでいる辺りから、目を引いた臙脂色の本を取り出す。
部屋の隅に置いてある椅子に腰掛けると、小さな丸テーブルの上に本を置き、表紙をめくった。
それは狼と羊の物語だった。
怪我をした狼を羊が手当てしたことから、二匹は次第に仲良くなっていく。
けれど狼は、度々羊のことを「美味そうだ」と考えてしまう。
そんな風に思う自分が嫌で、羊のことを食べ物だと思いたくなくて、狼は肉を食べることをやめてしまう。
段々と痩せ細っていく狼を羊は心配するが、狼は狩りが下手でうまくいかないだけだと嘘を吐く。
嘘を吐き続けて、やがて狼は飢えて死んでしまう。
それでも、最期の瞬間まで狼は羊と友達であり続けたことに、心から感謝していた。
狼を看取った羊は、泣きながらこう零した。
「きみが生きていてくれるのなら、ぼくは食べられたって良かったのに」と。
物語を読み終えたリリアーヌは、複雑な思いで閉じた本の表紙を撫でた。
「悲しいお話ね……」
狼は羊を想うあまり死んでしまった。
羊は狼の苦悩を知らされることなく大事な友達を失ってしまった。
どちらも悲しい。けれど。
「いけない、そろそろ準備を始めなきゃ」
慌てて臙脂色の本を棚に戻すと、レシピ本だけを抱えて、リリアーヌは厨房へと急いだ。
部屋の中の光景を目にして、リリアーヌは瞳を輝かせた。
猫、猫、猫。どこを見ても猫だらけ。様々な猫達が、はたきや雑巾を使って器用に部屋を掃除している。中に小さな人間でも入っているかのようだった。
「この猫達、皆ユリウス様の使い魔なの!?」
「そんなわけないでしょ。使い魔になるためには、御主人様の血を分けてもらう神聖な儀式が必要なの。あたしは猫達と意思疎通ができるから、近くの猫達を集めて仕事をしてもらってるのよ。報酬は食料を分け与えているわ」
「ふわあああ。賢いのねぇ」
部屋中に散らばる猫達を眺めて、リリアーヌはうずうずしていた。
こんなにたくさんの猫達といられるなんて、夢みたいだ。
「わたしも、何かお手伝いさせて!」
「要らないわ、邪魔よ」
「そんな!?」
一蹴されて、リリアーヌは半べそをかいた。
それに絆されることなく、エイダは淡々と告げる。
「言ったでしょう、あたし達は静かに動けるけれど、あんたがばたばた音を立てたらうるさくてかなわないわ。それに、普通の猫とは会話できないでしょう。いちいち仲介するのは嫌よ」
「そんなぁ……」
「貴族のお嬢様らしく、お淑やかに刺繍でもしてたら」
ツンと顔を背けられ、リリアーヌは肩を落とした。
確かに、自分が猫達に混じって掃除をするのはあまり良い案とは言えない。
リリアーヌが動き回れば猫達よりずっと大きな音が立つし、人間よりも遥かに小さな体躯の猫達を蹴り飛ばしてしまうかもしれない。
残念ながら、エイダの言う通りに大人しくしていた方が良いだろう。
とぼとぼと落ち込んだ様子で部屋を出て行ったリリアーヌの背中に、高い声がかかった。
「ねえ、ちょっと!」
リリアーヌが振り返ると、ばつが悪そうな顔をしたエイダが、ゆらゆらと尻尾を揺らしていた。
「も……もし、暇で、暇で暇でしょーがないって言うのなら、料理でもしたらどうかしら」
「え? でも」
「サルマーレは煮込み料理だから、時間がかかるわよ」
サルマーレ。具体的な料理名にリリアーヌがエイダを見つめるも、エイダは目を逸らしたまま合わせようとしなかった。
その様に、リリアーヌは小さく笑みを零す。
「ありがとう。夕食はそれにするわ」
ふんと鼻を鳴らして、エイダは掃除中の部屋に戻っていった。
(サルマーレ……食べたことがないわ)
マイヤー家は外国から移住してきたという。であれば、ユリウスの故郷の料理なのかもしれない。
エイダにレシピを聞いておくべきだったか、と思いながらも、忙しそうにしていたから、そこまで面倒は見てくれないだろう。
書庫に行けばレシピ本があるだろうか、とリリアーヌは書庫に足を向けた。
「やっぱり凄いわね……」
一度覗いただけだった書庫を改めて見回して、リリアーヌはその豊富な蔵書に感嘆の息を吐いた。
ユリウスは一人でこの屋敷にいる。時間を潰すための娯楽は、彼にとって重要なのかもしれない。小難しそうな専門書から娯楽性の高い大衆小説まで、種類は様々だった。
それらに目を奪われつつも、目的の物を探して、本を手にとっては中身を確認し、棚に戻す。
何度か繰り返していると、レシピ本に辿り着いた。
「あった。これだわ」
サルマーレ。肉と野菜を混ぜたタネを一口大に丸め、それを酢漬けにしたキャベツで包み、トマトのスープで煮込んだもの。
材料と手順を確認し、自分でも作れそうなことにリリアーヌは安堵の息を吐いた。
エイダの言った通り時間も手間もかかりそうだが、できないことはない。
酢キャベツが必要だが、それは常備されているのを確認しているため仕込みは必要ない。
煮込むのに時間がかかると言っても、今から作り始めるには早すぎるだろう。
そう考え、リリアーヌはそのまま書庫で時間を潰すことにした。
「ユリウス様は、どんな本がお好きなのかしら……」
これだけの数があれば、好みの本だけとは限らないが、共用ではなく個人所有の蔵書なのだから、少なくとも嫌いな本を置いたままにはしておかないだろう。
娯楽本が並んでいる辺りから、目を引いた臙脂色の本を取り出す。
部屋の隅に置いてある椅子に腰掛けると、小さな丸テーブルの上に本を置き、表紙をめくった。
それは狼と羊の物語だった。
怪我をした狼を羊が手当てしたことから、二匹は次第に仲良くなっていく。
けれど狼は、度々羊のことを「美味そうだ」と考えてしまう。
そんな風に思う自分が嫌で、羊のことを食べ物だと思いたくなくて、狼は肉を食べることをやめてしまう。
段々と痩せ細っていく狼を羊は心配するが、狼は狩りが下手でうまくいかないだけだと嘘を吐く。
嘘を吐き続けて、やがて狼は飢えて死んでしまう。
それでも、最期の瞬間まで狼は羊と友達であり続けたことに、心から感謝していた。
狼を看取った羊は、泣きながらこう零した。
「きみが生きていてくれるのなら、ぼくは食べられたって良かったのに」と。
物語を読み終えたリリアーヌは、複雑な思いで閉じた本の表紙を撫でた。
「悲しいお話ね……」
狼は羊を想うあまり死んでしまった。
羊は狼の苦悩を知らされることなく大事な友達を失ってしまった。
どちらも悲しい。けれど。
「いけない、そろそろ準備を始めなきゃ」
慌てて臙脂色の本を棚に戻すと、レシピ本だけを抱えて、リリアーヌは厨房へと急いだ。