ヴァンパイアと百合の花

第八話

 食事が終わって、食後の紅茶を飲みながら、二人は食堂で会話を続けていた。

「日中は何をしていたんだ? 暇だっただろう」
「屋敷内を見て回ったり、エイダとお話をしたり、あとは書庫で読書をしていました」
「そうか。本は自室に持って行っても構わないからな。欲しい本があれば取り寄せる」
「ありがとうございます。でも、あんなにたくさんあったら、新しい本がなくても十分です。今日読んだ本も面白かったですよ。ええと、確か『狼に食べられなかった羊』という本です。中身を読んだ後だと、随分面白いタイトルだなぁと思いました」

 くすくすと笑うリリアーヌに、しかしユリウスは僅かに息を呑んだ。

「……何故その本を?」
「特に理由はありませんが……臙脂色の装丁が目を引いて」
「そうか。面白いタイトルというのは?」
「そうですね。狼が『食べなかった』羊、ではなく、『食べられなかった』という表現は、羊の側から見た言葉に思えます。物語の終わりも、羊の台詞で終わります。ですから、作者が強調したかったのは、羊を食べずに死んでしまった狼の方ではなく、残された羊の方なのではないかと。食欲よりも友情をとった狼は誇りを持って満足して死ねましたが、羊の方からすれば、自分が友達になったせいで、狼を飢えさせて死なせたわけですから。羊である自分が狼の本能を刺激することも、当然わかっていたはず。それでも羊は大切な友達のために何もしてあげられなかった。その罪悪感を抱かせ続けることは、果たして友情を守ったことになるのでしょうか」

 じっと自分を見つめるユリウスの視線に気づいて、リリアーヌは我に返ったように息を呑んだ。

「も、申し訳ありませんっ! わたしときたら、また喋り過ぎてしまいました」
「いや、面白い意見だ。それならお前は、友情を守るためにはどうすれば良かったと思う?」
「……わかりません。羊の視点で言うならば、羊は友情のために、自分を差し出しても構わないと思っていたでしょう。羊は本当に、自分を食べてでも狼に生きて欲しかったのだと思います。けれど友達である羊を食べたら、今度は狼の方が罪悪感で潰れてしまう。どうにかしようと思うなら、まず狼は自分の衝動を正直に羊に話すべきだったと思います。それで解決策が見つかったかどうかはわかりませんが、結果離れることになっても、それで友情が消えうせるわけではありませんから」
「……そうか」

 そう呟いたユリウスの瞳から感情が読めずに、リリアーヌは困惑した。
 何か気分を害するようなことを言ってしまっただろうか。けれどユリウスは、怒っているようには見えなかった。

「俺は、狼の行動も理解できる。言えないだろう、大切な相手には。自分が脅威だと思われたくない。怯えられたくない。慕っていた相手がいきなり牙を剥いたら、誰でも裏切られたと感じるはずだ。良き友の顔で接してしまったのなら、その顔のまま死ぬしかない。それは無害なふりをした狼の責任だ。だから、狼の方が死ぬのは妥当だろう」
「……では、ユリウス様は、どうすれば良かったと思いますか?」
「最初から、友になどならなければ良かったんだ。自分は捕食者なのだと認識させていれば、羊は狼に過剰に近づくことはなかっただろう。羊を守ろうと思うなら、狼はそうすべきだった。自分を愛してくれる存在が欲しいという欲求に負けたんだ、狼は」

 苛立ったようにも、悲しそうにも聞こえる声だった。
 それを聞いたリリアーヌは、ほとんど無意識に口を開いていた。

「だから、わたしのことを『餌』だと言ったんですか?」

 完全に虚を衝かれた顔のユリウスに、リリアーヌはしまったと口を覆った。
 これはきっと、彼の核心に踏み込む質問だ。まだその時ではなかったかもしれない。
 けれど彼を理解しようと思うなら、避けられなかったであろうこともわかる。
 口に出してしまったものは仕方ない、とリリアーヌは答えを待った。
 ユリウスは考え込むように眉間に皺を寄せていたが、やがてゆっくりと唇を開いた。

「そうだな。俺の体質を知って、まともな女が結婚したがるとは思えない。相手が見つかる時は、よほどの訳ありなのだろうと覚悟していた。そして実際、オラール家は金に困っていた。家のための結婚であれば、嫌になっても逃げ出せないだろう。ならば最初から立場を明確にして、お互いに干渉しない方が幸せだと思った。俺は家督を継がないから、子が生まれなくても問題ないしな」

 リリアーヌを見ずに、どこか遠くを見るような目をしているユリウスを、リリアーヌは申し訳ない気持ちで見つめていた。
 リリアーヌも、この結婚に乗り気ではなかった。けれど当然、ユリウスの方もそうであろうことは想像に難くなかった。彼の強気な態度に、どこか自分ばかりが被害者のような気分でいなかっただろうか。
 ユリウスはリリアーヌのことを十分すぎるほどに気遣ってくれていた。ならばリリアーヌの方も、ユリウスに対してもっとできることがあったのではないか。
 俯きかけたリリアーヌだったが、次のユリウスの言葉に思わず顔を上げた。

「だから驚いたんだ。今夜、お前が厨房にいて。俺の分まで、食事を作っていて」
「……え?」
「お前は吸血鬼のことを知らずにここに来ただろう。騙し討ちになるから事前に伝えるようにと強く言ってあったんだが、それでも家の者ですら、俺が吸血鬼であることを知ったら誰も来なくなると思って黙っていたんだ。お前は昨日受け入れるようなことを言っていたが、一日経ったら考え直して、逃げられても仕方ないと思っていた。なのに平然と俺と接するし、エイダのことも笑って話していた。お前は本当に変わっている」
「それは……褒め言葉として受け取ってもよろしいのでしょうか」
「そうだな」

 息を漏らすように緩く笑ったユリウスに、リリアーヌは胸の内で何かが動くのを感じた。
 それは決して嫌な感覚ではなく、むしろ温かく心地良く、なのに泣き出したくなるようなものだった。

「昨日もお伝えしましたが、ユリウス様はお優しい方です。血を……吸われるというのは、少々緊張しますが、きっとその内慣れます。あなたがわたしを傷つけようとしてする行為ではないと、理解しましたから。それは逃げ出す理由にはなりません。共に暮らす内に、合わない部分があったり、喧嘩をすることもあるでしょうが、それはユリウス様が吸血鬼であることとは関係がありません。どんな夫婦でも起こることです。だからわたしたちも、これからゆっくり、わたしたちのペースで、夫婦になっていきましょう。せっかく結婚したのですから、関わらなければ良いというのは寂しいです」

 真っ直ぐに告げたリリアーヌに、ユリウスは初めて無防備に表情を崩した。
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