ひねくれ王子は私に夢中
 大げさなまでにカップル成立を祝福してくれたクラスの皆が一斉に敵に回る様を想像して沙良は震え上がった。

 犬の散歩中の女性が立ち止まっている沙良を見て怪訝そうな顔をしていることに気づき、再び歩き出す。

 ジョギングしている老人が沙良を追い抜いて駆けていく。

 通りを左に曲がり、住宅街へと歩きながら沙良は考えた。

(決めた。文化祭が終わってもしばらくはカップルのふりをしようと秀司に持ちかけよう。せめて一か月はカップルのままでいないと、協力してくれた皆に失礼だわ)

 十分ほど歩くと自宅が見えてきた。
 二階建ての自宅の隣には脱サラした父が祖父母から引き継いだ『花守食堂』がある。

 中学では陸上部だった沙良が高校で帰宅部を選択した理由の一つがこれだ。
 家で待機していれば、夕方のピーク時や土日に両親を手伝うことができる。

 現在時刻は午後七時過ぎ。
 ピーク時を迎えた厨房は戦場と化しているだろう。

(ただでさえバイトの人が急に辞めちゃって大変なのに、私までこんなことになって申し訳ないわ。お母さんたち、大丈夫かな。新しくバイトを探すって言ってたけど、そんなにすぐ人が入ってくるわけないよね……)

『花守食堂』の看板を見上げてから、目を伏せて店を通り過ぎ、自宅前で立ち止まる。

 ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込み、半回転させて扉を開く。

「ただいま」
 妹の梨沙がテレビで動画を見ているらしく、リビングからは英語が聞こえた。

 最近彼女は動画配信サービスで視聴できる外国のドラマにはまっていて、沙良もたまに一緒に見ている。

「あっ、帰ってきた! お帰り!」
 ドタドタという足音が聞こえて、裸足の梨沙が姿を現した。

 今日は可愛いらしい猫のイラストの下に『pretty★dog』と大嘘が書かれたシャツを着ている。

(この前着てたチェーンソーを持ったウサギのシャツよりマシだな)

 同じ血をわけた姉妹ではあるが、妹の趣味はよくわからない。

「店に寄った? 寄った?」
 梨沙は何かを期待した目で姉を見つめ、台詞に合わせて寄ってきた。

「ううん。どうして?」
「今日から新しいバイトの人が入ったんだよ!」
「そうなの? 今度こそ大丈夫かな……」
 この前店に入ってきたバイトは酷かった。

 まともに敬語も使えず平気で遅刻し、禁煙の店内で煙草を吸い、一週間と経たずに音信不通になった。

「さすがにあの人より酷いバイトじゃないよね? その言い方からして、梨沙はもう見たんでしょう? どんな感じだった?」
「ふふふふふ~」
 梨沙は口元に手をやり、怪しく笑った。

「気になる? 気になるよね? 見に行こう! 着替えるの手伝ってあげるから!」
「えっ? ちょっと、引っ張らないでよ!」
 二階の自室で強制的に私服へと着替えさせられた沙良は、梨沙にぐいぐい背中を押されて店の裏口へと向かわされた。
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