ひねくれ王子は私に夢中
「ねえ、なんだっていうのよ? いま忙しい時間帯なのはわかってるでしょう? 邪魔するわけには――」
「ちらっと見るだけでいいから! 開けて開けて! 早く! はーやーく!!」
 背中をバシバシ叩かれた。

(……挨拶してすぐ帰れば大丈夫かな)
 妹の押しに負けた沙良は困惑しながら厨房に続く扉を開けた。

 たちまち焼けた肉やカレーや香辛料といった食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。

 コンロの前で父が中華鍋を振り、バイトの大学生が野菜を皿に盛りつけ、食器棚の向こう――ホールでは母が注文を取っている。

 ここから見える限りテーブルは満席で、誰も彼もが忙しそうだ。
 しかし、ピッチャーを傾けて女性客のコップに水を注いでいる少年の笑顔は草原に吹く風のように爽やかだった。

「………………!!」
『花守食堂』の赤いエプロンをつけ、頬を赤らめた客に愛想を振りまく少年――秀司を見て、沙良は目を剥いた。

(なんでここにいるの!?)

 学校の教室ではなく、両親が経営する店の中に秀司がいて、見慣れた赤いエプロンをつけている。

 それは沙良の脳に激烈な違和感を生じさせ、頭の中を真っ白に染めた。

「どうよ。驚いたっしょ?」
 遅れて店の中に入ってきた梨沙がニヤニヤ笑っている。

 梨沙が秀司にバイトを持ちかけたとすぐにわかったが、反応する余裕もない。

 全てのテーブルを回り終えたらしく、秀司はピッチャーを置いて今度はトレーを持ち、空いた皿を回収し、テーブルを片付け始めた。

 素晴らしく手際が良い。
 見ていて惚れ惚れするような働きぶりである。

「沙良。梨沙も。どうしたんだ?」
 中華鍋から野菜炒めを皿に移した後、父がこちらを向いた。

 人並外れて体格が良い父は右頬に傷があり、熊を片手で絞め殺せそうなほど凶悪な面構えをしている。

 初対面の相手を高確率で怯えさせる不愛想な父だが、こう見えて気は優しく、釣りが趣味。

 加えて言うなら愛妻家で、娘にも甘い。

「今日は来なくていいって言っただろう。何かあったのか?」
「……な、何があったって……」
 壊れた機械人形のようにギギギ、とぎこちなく首を巡らせて父に視線を戻す。

「あの、あそこで、なんか、当たり前みたいな顔で働いている、あれは……」
 震える手でホールを指さしたときだった。

「あ。こんばんは」
 空いた皿を美しく積み上げたトレーを持って秀司が厨房に入ってきた。

「今日からアルバイトとして働くことになりました、不破秀司です。よろしくお願いします」
 トレーを置いて秀司は丁寧に頭を下げた。

「じゃじゃーん! 秀司さんです!」
 梨沙は秀司の隣で大げさなポーズを取り、秀司の登場を演出した。
 二人とも思わず花丸をつけたくなるような良い笑顔である。

「………………」
 沙良は無言で頭を抱えた。

 言いたいことは山ほどあったが、まさか夕方のピーク時に有能なバイトを店の外に連れ出すわけにはいかない。

「……不破くん。バイトが終わったらゆっくりお話ししましょう?」
 にっこり笑う。

「いいよ。待ってて」
 笑顔の裏で沙良が怒っているのは伝わっているはずなのに、秀司は全く動じず、笑顔を返してきた。
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