ひねくれ王子は私に夢中
「何よ? なんか文句でもあるの?」

 急に瑠夏が冷えた声を出した。
 彼女は不愉快そうに片眉を上げ、掴んでいた秀司の腕を離し、射殺すような目で沙良を睨め付けた。

 空気が凍り付き、場が静まり返る。
 隣の部屋から微かに音楽と足を踏み鳴らす音が聞こえた。

「え……文句なんてないよ? どうぞ続けて」
 何が瑠夏の癇に障ったのかわからず、狼狽しながら促す。

「本当にそう?」
 瑠夏は人形のように美しい顔をますます険しくした。

「じゃあなんで不破くんに触れる度に物言いたげな目であたしを見るのよ。いままで我慢してたけどもう限界。どうせ『私の彼氏に気安くベタベタ触るんじゃないわよこの女狐』とでも思ってるんでしょう」
 瑠夏の目には殺気すら篭っていた。

「そんなこと思ってない――」
「はっ。こっちは真剣だっていうのに、馬鹿馬鹿しい。やってられないわ。あたしの指導方法に文句があるなら自分でやりなさいよ。どうぞお好きに」
 瑠夏は吐き捨てて自分の荷物を取りに向かった。

「待って、文句なんてないってば!! 瑠夏には感謝しかしてないわよ!! どうしてそんなこと言うの!?」
 沙良は瑠夏に抱き着き、固定された左腕以外の身体全部を使って必死に止めた。
 抱き着いた拍子に眼鏡がずれ、視界の上半分がぼやけて見にくくなってしまったが、右腕は瑠夏の身体に巻き付かせているため位置を直す余裕はない。

「長谷部さん。どうしたんだよいきなり」
 歩み寄ってきた秀司も困惑顔だ。

「とにかく落ち着いてよ。そうだ、飴食べる?」
 大和は鞄から急いで飴を取り出し、半ば強引に瑠夏の手に握らせた。

「………」
 瑠夏は無言で手の中の飴を眺めている。
 緑色の包装紙にメロンの絵が描かれた、何の変哲もない飴だ。

 それでも、その飴は瑠夏に鎮静効果を与えてくれたらしい。

 瑠夏の身体からふっと力が抜けるのを肌越しに感じた沙良はきつく巻いていた腕を離した。

 右手の人差し指でずれた眼鏡の位置を戻し、祈るような心地で親友を見つめる。
 瑠夏はやがて小さく息を吐き、飴を握った。

「苺味もあるよ?」
 瑠夏が飴を受け取ったことに安堵したらしく、大和は頬を緩めて言った。

「そんなに気を遣わなくてもいいわよ……ごめんなさい。あたしを見てた沙良の視線が嫌な女と重なったの。昔の忌まわしい記憶を思い出して、暴走してしまったわ。今後は気を付ける。もう二度と失態を晒したりしない」
 飴をズボンのポケットに入れた後、瑠夏は身体の前で両手を重ね、深々と頭を下げた。

「……練習に戻りましょう。まだあたしを講師だと思ってくれるのならね」
 瑠夏は自嘲して歩き出そうとしたが、その手を秀司が掴んだ。

「その前に詳しく聞きたい。忌まわしい記憶って?」
 秀司はすぐに手を離して座り込んだ。

 瑠夏は迷いを見せたものの、おとなしく座った。
 沙良も大和もその場に腰を下ろす。

 この二週間、練習の日々を積み重ねてきたおかげで四人の間にはダンス仲間としての連帯感が生まれている。

 瑠夏が変貌した理由を、きっと全員が知りたいと思っていた。
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