婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
プロローグ
「あら──」
使用人用の食堂室に入った侍女がテーブルに置かれた籠に目を止めて言う。
「クッキーじゃない。これどうしたの?」
「ソフィアお嬢様よ。新しく入った料理人のレニーに作り方を教わって、一緒に作ったのですって。レニーのおかげでたくさん美味しくできたから、みんなにもどうぞって」
「まぁ」
「昨日も料理長にこっぴどく叱られて、もうお暇を頂こうかなんて言ってたのに、レニーったら大喜びで。お嬢様のためにディナーの仕込みも張り切ってやってるわ」
「この間はここに庭で摘んだお花を飾ってくださったのよね」
「あの時、わたしがお見かけしたのよ。どうなさったんですかってお尋ねしたから、頬を染めてもじもじなさって、素敵だったからみんなにも見て欲しくてなんておっしゃって。かわいらしかったわぁ」
彼女たちは口々にこのところのソフィアを褒めそやす。本当に信じられないほど口が達者で、活発になられて、勉学にも励み、礼儀正しく、それでいて誰にでも優しくって。そしてなんと言ってもあの愛らしい笑みときたら。
可憐な春の花がふわりと咲きほころぶように、まろい頬を淡い薔薇色に染めて、煌めく淡紫の瞳を細め、ソフィアは人懐っこく笑うのだ。
──笑うようになった。
「こんなこと言ってはなんだけど、お嬢様は本当に人が変わられたようだわ」
実のところ、それは事実だ。
あの日、まだ肌寒い春の始まりに、それまでのソフィアの魂は死んでしまったのではなかろうか。
ほとんどずっと崩れていたような彼女の繊細な魂は、あの時、近い将来義兄なる人と共に薄氷の張った冷たい池に落ちたショックで散り散りとなって、けれども瘦せっぽちの体のほうは死なずにいたから、だから奥底で眠ったまま目覚めるはずもなかった「私」が引っ張りだされたのではなかろうか。
──私は、そんなふうに思うのだ。