婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

 ここでロバートたちを待とうと、クロエと共に、通りの交差する辻に植えられた樹木の側へ近寄った時のことだった。
 ラインハルトと同じ歳の頃の街の子供が数人、戸惑いとともに木を見上げている。
中には半べそをかいている小さな子もいて、私は思わず、
「どうかしたの?」
と尋ねてしまった。

「おれの剣、とれなくなっちまって……」

 一番体格のいい男の子が指さす先を見上げれば、確かに枝に玩具の木剣が引っかかっている。他の子もそれぞれ似たような剣を持っているから、戦って遊んでいるうちに吹き飛んだか放り投げたかしてしまったのだろう。

「揺らしてもダメだった?」

 問えば彼らはうんと頷く。
 そこまで高い木ではない。私でも彼らの持っている剣を借りてちょっと枝をつつけば、落ちてきそうに思える。

「ねえ、よかったらその剣、少しの間貸してくれない? 取れるかやってみる」
「お、お嬢様!」
「平気平気。でもお兄様には絶対秘密にして」
「そんな!」

 私は右手に木剣を持つと、幹に足を引っ掛けようとした。

「──お嬢さん、待った!」

 突如かけられた声に驚いて振り返ると、金髪に碧眼の青年が慌てて駆け寄ってきた。

「危険だから、僕が!」
「ですが」
「どう考えてもお嬢さんがなさることじゃないでしょう、怪我したらあなたの侍女が咎められるんですよ」

 はっとしてクロエに目をやり、考えなしであったことを思い知った。

「ごめんなさい。あなたのおっしゃる通りだわ。ごめんねクロエ、止めてくれたのに」
「いえ、お嬢様のお転婆にはもう慣れましたが、控えていただけると私の心臓が助かります」
「ご、ごめんなさい」

 苦笑しながら首を振るクロエに青年は安堵した様子で、腰を折って子供たちに視線をあわせると「それで、あの剣をとればいいんだね」と微笑んでみせた。
 今更の感想だが、目鼻立ちの整ったかなりの美青年だ。格好は平民のような成りをしているものの、所作からうかがい知れる品は隠しきれていないから、おそらく私たち同様、貴族の子息あたりかもしれない。

 彼はにこりとして私から木剣を預かると、手の中でそれを一度くるりと回してから一番近くにいた子供に返した。そうして樹木を見上げたかと思うと、私がしたのと同じように幹に足をかけ軽々飛び上がり、彼は左手を枝に掛け、伸ばした右手で引っかかっていた木剣を掴んで華麗に着地した。

「はい、どうぞ」
「にいちゃん、かっけえ。ありがと!」
「どういたしまして。気をつけて遊んで、友だちに怪我させちゃダメだぞ。剣は誰かを護るためのものだ」

 かっけえかっけえと街の子供たちは口々に言って手を振りながら去っていった。

「あの、大丈夫ですか?」

 声をかけると振り返った青年は爽やかな面差しに苦い笑みを浮かべる。

「あは……やっぱりお気づき、ですよね……」
「はい……よかったら、手当を」

 枝を掴んだ拍子に切ったようで、後ろ手に隠していた彼の左手には薄く血が滲んでいた。
 クロエにロバートたちと合流してもらい、私は青年を街の要所要所に置かれている生活用水の湧水路まで連れていくと傷口を水で流してハンカチをあてがった。

「ありがとう。かっこつけたつもりが、かっこ悪いことに……お恥ずかしい」
「いえ、あのままであれば私が怪我をしていたかも知れませんし。こちらこそ、ありがとうございました」
「君、あそこまで飛ぶつもりだったの?」
「……イメージ的には、いけるかなと思ったのですが、あなたを見ていたら私には無理だったことがわかりました。たぶん、枝を掴む前に無様に落ちていたかと……」
「そうか、それならやっぱり僕がこの程度で引き受けてよかったよ」

 くすくすと笑う彼の煌めくような笑顔は、日ごろ魔王の冷笑を見慣れた私には眩しいほどだ。ラインハルトもこんな感じに成長してくれるといいなと思う。ザ・好青年。

「ソフィアお嬢様!」

 声のするほうを振り返れば、クロエから話を聞いたのか血相を変えたロバートの姿が見えた。奥にはクロエとともにラインハルトたちの姿もある。

「げっ」
「げ?」
「あ、い、いえ、失礼。あちらは家の者です。私は兄がいるのですが、彼は兄の従者なので、兄の知るところなれば叱れそうだなと思って、思わず……」

 仲がいいんだ、と彼は碧い目で笑う。

「そもそも自分でやらずに彼を待てばよかったのです。そうしていれば、あなたにも怪我をさせずに済みましたのに、本当に軽率なことで申し訳ありません。お詫びを」
「いいよ。僕がしたくてしたことだから、どうか気に病まないで。それより──」

 彼が言いかけたところで、クロエやロバートを振り切ったのか、ラインハルトが飛び込んできた。

「ねえさま! けがは」
「ライリー、大丈夫よ。心配かけてごめんね。ねえさまは平気、こちらの素敵な方が助けてくださったの。ねえさまと一緒にお礼を言ってくれる?」

 小さな手を取れば、しっかりしたものでラインハルトは姿勢を正して青年に向き直った。

「はい。ねえさまを助けてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして、君の素敵なお姉さまに怪我がなくて何よりだよ。むしろ、手当をしてもらった僕のほうが感謝しなくては。ありがとう」
「そのハンカチは差し上げますので、お帰りになりましたら小さな傷だとしてもしっかり手当をなさってくださいませ」
「ああ……うん、ありがとう」
「お大事に」

 軽く頭を下げて私はラインハルトに手を引かれながら、小走りにクロエたちの元へ向かう。クロエにもロバートにもしっかりこってり叱られて、レストランにたどり着く頃には私はすっかり疲れてしまった。


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