婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
一章 ソフィア・ブラストラーデ
(1)
腐食した桟橋を踏み外し薄氷の池に転落した九歳の私は、すぐさま助け出されたものの、数日の間高熱に浮かされ、一週間近くもベッドから起き上がることができなかったという。
目が覚めて、垢の浮いた体を雑に拭われながら、私は唐突な違和感に包まれた。それはまるで自分が自分ではないような不思議な浮遊感を伴っていて、目に映る景色がそれまでとは異なるはっきりとした鮮やかさで見えた。
私はソフィアという名だ。
母・オリヴィアと父・グランドン伯爵の第一子としてこの世に生を受け、一年前、父と愛人との間に男児が生まれたことを理由に両親は婚姻関係を解消したから、元グランドン伯爵令嬢となった。
政略結婚であった彼らの間には、残念ながら愛も情もへったくれもなく、義務のごとく私という子をもうけたのちは、それぞれあからさまに愛人がいた。父方の祖父母は孫娘である私を目の前にして、もっと利発そうな男児が欲しかったと包み隠さずおっしゃるタイプであったから、頑なに第二子をもうけようとしなかった強情な女よりも、嫡男を抱いて堂々やってきた後妻を歓迎したわけだ。
美貌を誇る元グランドン伯爵夫人オリヴィアの再婚は、私といういらぬおまけを伴っていても、そう間を置かず決まった。
母は、三年ほど前に妻を亡くされたリカルド・ブラストラーデ侯爵の後妻として迎えられることとなり、私にはふたつ年上の兄ができることになった。
母の実家は地方の子爵家であったため嫁ぎ先の格が上がることを喜び、いてもいなくても同じ私などはさておいて、文武に秀で将来が有望視される小侯爵ルシアス・ブラストラーデと縁続きになることをありがたがった。
以前のソフィアならば、これらのこともわかるようでわからなかったかもしれない。
自分を取り巻く環境がどれほど殺伐として過酷なものか、理解しようともしなかった。母は産み落とした私に関心がなく、父は家庭そのものに興味がなくて、私は世話を任された乳母からろくな教育も施されずに育ち、その反面外に出て恥をかくようなことが起きればこっぴどく叱られた。
表情は乏しく、言葉はたどたどしく、覇気もなければ年相応の愛嬌の欠片もない。屋敷から外に出される機会も食事の量もだんだんと少なくなっていく日々を、それまでの小さなソフィアはただただ享受した。
反抗することやその状況から抜け出そうとすることなど、それが当たり前だった彼女は思いつきもしなかった。
だからきっとあの日あの時、それまでのソフィアはあっけなく死んでしまったのだ。
替わりに「私」が引っ張り出され、痩せた体を憐れみどころか何の感慨も抱かない様子の侍女に拭われながら、はたと気づいたわけである。
──あ、これ転生ってやつだ、と。