婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
四章 交錯する感情
(1)
ティーパーティーから三日が経ち、今日もフィリップから侯爵邸に花束が届いた。
お礼の手紙を書かなくてはならないので私は大変気が重い。
「……うぅう……どうしたら……」
ひとり呻いたところで、もはやどうしようもなかった。
突然としてパーティの翌日から私宛に届くようになった本国第三王子からの豪華な花束と、“あなたを心から想って”というメッセージカードに、屋敷中が仰天した。クロエに至ってはピクニックで気さくに話していた相手が王子であると知って気が遠くなり、マーサや執事たち、そのほか本邸の使用人までもが色めき立って、私の状況は追い込まれた。
フィリップは外堀を埋めてからことにかかるたちのようで、初日の花束と同時に義父であるリカルド・ブラストラーデ侯爵にフィリップから手紙が届き、娘のソフィアと偶然街で出会い見染めたことを打ち明けたという。
聞けば、フィリップには確かに長らく婚約者がいないそうだが、近隣国であるティーセルの姫君との縁談が水面下では進んでいた。
ただ、これは当人の意志がなく、国同士の結びつきを強くするための外交カードに過ぎず、双方の条件に相違があるのか難航しているとのことだった。フィリップ自身はこの話に当然反発しており、彼の祖母である先の女王陛下も、婚姻を外交の盾することに難色を示したことで保留の状態が続いているのだそうだ。
フィリップは、国王の了承を得たならば、正式に私を婚約者として迎え入れたいと手紙ですべてを打ち明けた上で義父に申し出た。
王城の中で明確な政治的ポジションを持たない当侯爵家としても、王家との繋がりができるのは願ってもないこと。
──詰んだ。
完全に外堀を埋められている。
だが、この世界における私の穏やかな生存というのを考えるのであれば、フィリップとの結婚は悪くない話だった。
私を結婚させないという抑止力に似た何かが働いていたこの世界において、スムーズに結婚できるかはさておき、フィリップがリリーナを巡ってルシアスと三角関係に至らないということは、すなわち、私の山小屋での焼き討ちエンドは起こらないということ!
というか、なぜフィリップの好意の矢印は、リリーナではなく脇役の私に向いてしまっているのだろう。
記憶の限り、リリーナとフィリップは例のティーパーティーで出会うはずだった。
たとえうっかり私とフィリップが先に出会ってしまっていた世界線だとしても、パーティで規定通りに出会っていれば物語の引力によってふたりは運命的に惹かれ合い、私はフィリップの友人という立場でその後の物事を眺めていたかもしれない。
けれど、ふたりは出会わなかった。
──リリーナはパーティにいなかったのか? そもそも、本当に存在する?
事ここに来て、よくわからなくなってきてしまった。
こんなことになるなら、人を使ってでも伯爵令嬢リリーナを探し出し、逐次動向を確認しておくべきだった。最近養女になったという人物であれば、それなりに的を絞れたはずだ。ただ、いまさらそんなことをしても意味はない気がする。
なぜなら、リリーナを巡る三角関係ではなく、すでに私、王子殿下、ブチ切れた魔王という恐ろしいトライアングルが完成しているのだから。
知恵熱でも出そうだな、と思いながら、私は恐る恐る、離れにある執務室のドアを叩いた。
私はあの日以来、完全に魔王様のご機嫌を損ねてしまい、避けられている。日中の半分近くを割くようになっていた執務の補佐も、おまえに頼むものはないと、執事であり同じく仕事の補佐をする涙目のティムを通して伝えられた。
だが、そのティムからルシアスが休憩を促しても無視して、満足に食事も摂らないと泣きつかれ、ロバートからは主のまとう空気が恐ろしく手が震えるので何とかしてもらえまいかと訴えられた。
ノックをして、
「ソフィアです」
と告げる。返答は無言だった。
「……失礼します」
ドアを押し開くと、デスクにはルシアスがいた。こちらに背を向けて窓辺に立っている。
「入室を許可した覚えはない」
「ですね。おっしゃる通りですが、お休みにならないと嘆くものがおります。それだけはどうかお聞き入れください」
ティムやロバートの姿はないから、イラついて弾き出したか、空気に耐えかねて寄り付かないのかもしれない。三日の間に雑然とした机の上に目をやって、溜まった郵便物に触れた。
手に取った一番上にあった封筒は郵送されてきたものではない。切手も消印もないから、どこかの従者が運んできたものだ。宛名はルシアス・ブラストラーデ様、何気なく裏を返して目に止まった差出人の名前に、私は息を飲んだ。
──リリーナ・ローワン!
「これ……」
リリーナだ。見れば同じ筆跡の封書が他に二通ある。どうして、と口の中でこぼしたところで、近寄った気配に後ろから抱きしめられた。
「ルシェ」
「……すまなかった」
後ろ頭に鼻先を押し付け、きつく抱きしめる彼の手はわずかに震えている気がする。
出会ったころから不思議と逆らうことはできない存在で、その目はいつも冷たい印象があったが、ルシアスが私を虐げることはこれまで一度としてなかった。
水を浴びせかけられたなど、初めてのこと。
身をよじって振り返れば、後悔を滲ませた青灰の瞳がある。
「本当にすまない。あんなことは、二度としないと誓う」
「……大丈夫です。だから、そんな顔しないで」