婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
*
どういうわけか膝の間から放してもらえなくなったため、抵抗を諦めた私は執務室の長椅子で、後ろからルシアスに抱かれる格好のままリリーナからの手紙を開封した。
彼女とどこで知り合ったのかと尋ねてみれば、ルシアスはよく覚えていないようだがティーパーティーの会場だそうで、手紙を気にしているのが伝わったのか開けてみろというのだ。
「三通ありましたけど、どうして最初の一通以外開けてないんですか?」
「面倒だ。普通返事をもらう前に、矢継ぎ早に毎日送ってくるか?」
確かに。
内容は、ティーパーティーの席で助けてもらったことに感謝するものであり、ルシアスを絶賛し、ひいてはお礼をさせてほしいということだった。一通目は茶会へ誘い、二通目はほぼ同じ内容で、菓子ならばどんなものが好みかを尋ねる内容。今朝届いたという三通目はお返事が欲しい、あなたを想って胸が苦しいという旨が切々とつづられていた。
肩越しに眺めていたルシアスも絶句している。
「ソフィ、開けた責任だ。感想を言え」
「な……なかなか……熱烈な方で……」
正直ヤバイが素直な感想だった。
一通目の冒頭から“親愛なるルシアス様”となっており、この明確な階級が存在する世の中において、次期ブラストラーデ侯爵から身分下の伯爵令嬢がとっていい距離感とは言い難い。脳内でやりとりを交わしたのか、三通目など“ごきげんよう、ルシアス様”スタートだった。度胸がある。
「俺が助けたとあるが、何をしたというわけでもない。おそらく、ソフィの日傘を取りに戻ったときに、テーブルにいた奴らのどれかだ」
「奴らのどれか?」
「男がひとりと女がふたり。男のほうは見覚えがあるが、顔つきからしてアネトン伯の次男だか三男、だった……ような……」
「あやふやぁ……」
ルシアスは領地や事業に絡む関係者であれば、顔も名前も一度で覚えるが、無関係の相手となると途端に認識が下がった。興味がないのだ。
「痴話げんかのようなものをしていたんだ。女が、男ともうひとりの女に無礼だの常識がないだのと、何事か捲し立てていた。大方、浮気か何かを咎める話だろう。俺がテーブルの端にあった日傘を取ろうとして、右に動いても左に動いても奴らが邪魔になって取れなかった。だから、そういうことは他所でやれと言った」
「それだけですか? その方たちとお話されたりは?」
「いや。していない。失礼するくらいは言ったかもしれんが、名乗ってすらいない。手紙が届いたということは、そのうちの誰かが俺の顔を知っていたんだろう」
「では、助けてもらったと言っているこのリリーナという方、おそらく捲し立てられていたほうの女性だと思うんですが、どんな方だったのか覚えてますか?」
「……やけに気にするな?」
「だ、だって、こんな手紙をよこしてくるような方ですよ。気になるでしょう」
「ああ、頭がおかしい奴は、警戒するに越したことはないからな」
「できたらもう少し柔らかい物言いを……」
ルシアスはややあってから「覚えていない」とこぼした。興味の欠片もなかったらしい。
小説の通り、リリーナと出会っていたのに。
トラブルに巻き込まれたリリーナを助けるといった話の流れは、フィリップ王子と彼女の出会いで、ルシアスとはすれ違いざまぶつかった拍子に飲み物がこぼれたか何かで二言三言話すというものだった気がする。そもそもおかしいのは、ろくにはなしてもいない様子なのに、リリーナがルシアスに明らかな好意を向けているという点だ。
「気になるのか? リリーナ・ローワン」
「ええ、まぁ」
「婚約者がいないからと声を掛けられることはままあるが、確かに初手からここまで頭のおかしいケースは初めてだな」
言葉の刃が鋭利過ぎる。
「おまえは昔から、俺が令嬢と知り合うと、それがどこのだれかと気にする」
「……あ、あは」
「気づいてからはなるべく言うようにしていたが、俺ももっと、おまえの知り合う相手を気にしておけばよかった」
ルシアスは私の肩口に額を預けると、抱き寄せる腕の力を強くした。
「ルシェ……」
「把握はしているつもりだったが、フィルという男については最近のことで調べが足りなかった。歳の頃が合いそうな、位の高い貴族の三男にフィリップという男は存在しない。かといって、既婚であることを隠してというわけでもなさそうだった。だから、偽名と踏んで、金髪碧眼で対象になる相手を探している途中だったんだ。姿を忍んでいるわりに街では、顔が広くて評判がいい。あちこち歩き回って市井の様子を見ている感じがしたから、それなりの立場と思ってはいたが、王族とは……」
調べが足りないとは……?
「俺が直接顔を見ていれば手っ取り早かった」
「ライリーやトーマのことは誘っても、兄上もいかがかとは口にされませんでしたから、ルシアスに顔を見られれば、その時点で発覚することはわかっていらっしゃったのでしょう」
「……どうするんだ」
「どうするもこうするも、すでにお義父様に話がいっているんです。勝手に外堀が埋められていくので、私にはもうどうすることもできません。例のごとく、おまえは結婚するなという神託が下るのを待つしか」
「あれはすべて俺が手を回していたものだから、今回その神託はない。フィリップ殿下は完璧な結婚相手だ」
「……はい?」
いま何と?
くそ、と悔しさの滲む声がこぼれて、私は突然首筋に吸い付く気配に思わずのけぞった。
「ル、ルシェ!」
首に感じる熱と体をまさぐる大きな手に逃げ出そうとしても、伸し掛るルシアスの体躯がそれを許さなかった。
「だ、だめ、ルシェ、だめです、それよりさっきのどういう意味ですか!」
「そのままの意味だ。おまえの相手は、俺が手を差し向けて全部調べた。最初の婚約のときから全部。父にヒントをやった。俺が相手を焚きつけて、金を握らせて駆け落ちさせたこともある」
「そんな、うそ……ルシェ、やめ」
「おまえは俺のものだ。絶対に、誰にも渡さない」
甘噛みされて駆け抜けた感覚に思わず声がこぼれた。
──どうして。
もうだめだと思ったその時、慌ただしく部屋の戸を叩く音が響き渡った。
「あ、あの! 若旦那様、ティムです。申し訳ありません、こちらにお嬢様はいらっしゃいますでしょうか。ええとあの若旦那様にもお客様がお見えで、それよりその、お嬢様ッ! で、殿下が、フィリップ殿下がおいでに!」