婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

 (2)

 ルシアスを尋ねてローワン伯爵家のご令嬢が、ほぼ同時に私を尋ねてフィリップ殿下が、いずれも先触れもなく本邸に訪れるという事態が発生し、使用人も私もてんやわんやで混乱した。

 執務室を飛び出すと、泡を食ったティムの向こうから血相を変えて駆け寄ってくる侍女長のマーサがおり、この格好のままでいいかと尋ねるとダメに決まってんでしょうと叱り飛ばされ、部屋に押し込められた。
 慌てて着替えている間にクロエが滑り込んできて、出かける間際に居合わせた母とルシアスが、客人を応接間に通して場を繋いでいると報告を上げた。

「──お待たせしてしまい申し訳ございません」

 息を整え、ええいままよと足を踏み入れた本邸の応接間。
 母、ルシアス、その向かいにヒロインにのみ許されしピンクゴールドの髪の愛らしい令嬢──これがリリーナ、そして奥にいたフィリップは私を見るなり立ち上がって微笑んだ。

「ソフィ!」
「殿下……」

 きらきらとした笑顔が目に眩しい。すると、ソファから音もなく完璧な所作で立ち上がった母はフィリップに向かって綺麗に礼をとった。

「では、わたくしはこれで失礼を。お目にかかれて光栄でございましたわ。殿下」
「もてなしをありがとう、ブラストラーデ夫人。母君にご挨拶が出来て良かった」

 リリーナには一瞥をくれ、母は私の横を通り過ぎる間際、ふと足を止め耳元で囁いた。

「よくやったわ、ソフィ──」

 覚えている限り、母が私を褒めたのはこれが初めてのことだった。

 *

「改めまして、わたくし、リリーナ・ローワンと申しますわ。先日、王城でのティーパーティーでは困っていたところをルシアス様にお救いいただいき、深く感謝しておりまして、ぜひその気持ちを直接お伝えしたくて参りましたの」

 ──心が、強すぎる。
 淹れなおしたお茶が行き渡り、マーサが恭しく退出すると口火を切ったリリーナに私は人知れず驚嘆していた。
 ちら、と横目でルシアスを伺えば、ルシアスはリリーナではなくフィリップにおまえ何で来たと包み隠さず書いた顔を向けている。

「ですがまさか殿下にまでお目にかかることが出来るなんて、思いもしませんでしたわ。パーティにお招きくださり、ありがとうございました」
「君はとても素直なんだね。楽しんでもらえたなら何よりだ。聞けばローワン伯の養女になったばかりというし、知り合いが増えるきっかけになれば、主催側としては嬉しく思う」
「はい。お友達もたくさん出来ましたし、ルシアス様と知り合うきっかけになりましので、フィリップ殿下には心から感謝申し上げます」

 フィリップはただにこやかに笑い「僕はソフィアに逢いにきたんだ」と碧い目で私を見やる。

「先触れもなく驚かせて申し訳なかったけれど、叶うなら一目でも逢いたくて」
「まぁ素敵ですわ」

 リリーナは瑠璃の瞳をしている。誰もが魅力に感じるであろう大きな丸い目を瞬かせ、それがくるりと私に向けられた。
 まるで、あなたがそのソフィア? とでも問うように。

「は──、も、申し遅れまして、失礼致しました。わたくしはリカルド・ブラストラーデの娘、ソフィアと申します。お目にかかる機会を光栄に存じます、ローワン伯爵令嬢リリーナ様」
「はじめまして、ソフィア様。おいくつですの?」
「十七に……」
「まぁわたくしも同じ歳ですわ。仲良くなれそう」

 胆力──、アポ無し訪問した侯爵家で全員ほぼ初対面にくわえ、隣にいるのは他ならぬ殿下。それなのにこの場で物怖じひとつしない彼女の胆力には、ただ圧倒される。

「……貴様、頭がお」
「あっ、あのォ! あの、せっかくですので、お、お茶を! ……緊張のせいか声が大きくなりまして失礼」

 ルシアスのよく響く低音爆弾が危うく応接間に投下されるところだった。
 視線でそれはダメだということは伝えたが、魔王は礼儀を知らぬ馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのかわからんそうで、器用に片眉を引き上げ視線だけで語りかけてくる。
 ──どうしよう……。
 ルシアス、リリーナ、フィリップと物語の主要人物がここには全員揃っている。感情の矢印は私の知るストーリーとはてんでばらばらだが、何かが始まってしまったのは確実だった。

「ソフィ、よかったら僕に庭を案内してくれないかな。ここでルシアスたちの話を邪魔しては悪いから」

 青い顔をしていたであろう私にフィリップは言った。

「へっ」
「ね?」

 王子は、この無垢な胆力の塊と冷酷なる魔王をふたりきりで残せと?
 恐る恐る横目でルシアスを伺えば、彼の青灰色の鋭い視線は射殺さんばかりに私を見つめていた。前門のフィリップ後門のルシアス、何をどう行動しても私には地獄しか残されていなかった。


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