婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

五章 ルシアスの計画


 (1)

 ルシアスは平然として変わらず、黙々と日々の仕事を執り行った。
 外出する頻度は増えたものの、用向きは私に知らされず、それとなくティムに聞いてみても事業関係者との会合とか、領地経営に関わるあれこれで、どれも仕事の範疇を出るものではない。
 あの日以来、私にはふたりきりでも一切触れなくなり、夜になって寝室を訪れるようなこともなくなった。

 先日の訪問以来、フィリップは大っぴらなアピールは控えてくれるつもりのようで、ラインハルトたちにたくさんの菓子が届いた以外は、数日に一度手紙をくれる程度に収めてくれた。
 普段の街歩きも忙しい公務の合間を縫って、市井の様子を見に行っていたらしく、このところ私にあれこれとかまけていたぶん、なかなか見逃してもらえなくなったと手紙に綴られていた。
 とはいえそれから一度、私はフィリップとのお茶会のために王城を訪れている。
 ラインハルトとトーマを連れ、彼らはゾルと広い芝生の庭で遊んで、フィリップと私はそれを眺めながら話をしただけに過ぎないのだが、そこが城だというだけであまりに緊張した。

 奪いに行く宣言をしたルシアスの行動はよくわからないし、フィリップの私を見つめる甘い視線には大いに戸惑うし、外堀は何もしなくても勝手に埋まっていく。
 そんな流されるままあっぷあっぷと溺れかけていた私に、ここにきてひとつ頭の痛い問題が起きた。

「こんにちは、ようこそソフィア様」
「……この度はお招きくださいましてありがとうございます、リリーナ様」

 ──リリーナ嬢、ルシアスのことを諦めてなかった問題である。

 この日、私はローワン伯爵令嬢リリーナからお茶に誘われ、趣ある伯爵邸を訪れていた。
 伯爵夫妻は高齢で、幼いころに子供を亡くして以来、夫婦ふたりと少ない使用人という慎ましい暮らしをしていたが、領地に大きな牧場を経営しており馬主として成功していた。
 彼らは少し前に不運なことに詐欺被害に遭い、その財産の多く奪われてしまったことで家名は潰えるものと思われていたそうだが、夫妻はその失意の中で純真なリリーナと出会い、貧しさの中でも前向きでどこまでも愛らしい彼女に感銘を受け、養女として迎え、夫婦としての余生を彼女に幸せになってもらうことに尽くそうと考えたという。
 とここまでのことを、私は直接年老いたローワン伯爵夫人から涙ながらに聞かされた。
 なるほど。
 そうですか。それはそれは……。

「リリーナに、こんな素敵なお友達ができていたことがわたくし嬉しくて」
「おほほ……お友達だなんて、光栄ですわ。ローワン伯爵夫人」

 気持ちとしてはトホホである。私とリリーナでは友人という基準が異なっているようで、向こうは一度会って話をすると友達になり、家に誘ってのこのこやってきた私はもはや親友というステータスになっているらしい。

「リリーナはまだ複雑な貴族社会をよく知りませんのよ。この通りに純粋な子ですから、誤解を受けたりすることも多くって」
「さようでございましたか……」

 延々と続くローワン伯爵夫人のリリーナ語りで大方のことは分かった。
 リリーナはご覧の通りとても純粋無垢な性格をしており、ご覧の通りとても愛らしい容姿をしている。ほとんど平民同然で育った彼女は、はじめて訪れた王都で貴族社会に触れ、その複雑怪奇なるつぼに飲み込まれ、驚くことばかりだった。

 階級の異なる相手との接し方しかり、異性との接し方しかり。
 特に、婚約者のいる男性に話しかけることは非常識と言われたものの、どの男性に婚約者がいるのかなどリリーナにはわからない。確かにそうだ。だからよく知らない相手と迂闊に接触したり、深い話をしないのが常の事なのだが、新たな伯爵令嬢として顔見世のために連れていかれた夜会や茶会などで、リリーナにはその花のように可憐で愛くるしい見目に惹かれて声をかける男性が後を絶たなかった。
 リリーナは素直なので、聞かれたことにはすべて答えた。
 可愛らしいと褒められれば嬉しい。愛想のない自分の婚約者よりはるかに美しいと言われたらなお嬉しい。
 手を取られて指先に口づけられると、向けられる好意を受け入れ素直に喜んだ。

 なんとまぁ、無垢にも程がある。

 結果としてトラブルが後を絶たず、ローワン老伯のほうが謝罪行脚に音を上げて、リリーナはここしばらく交流の場に出ることを禁じられていたという。
 王家主催のティーパーティーは初めての招待ということもあり、欠席するわけにもいかず出席したところ、案の定、鼻の下を伸ばしたアネトン伯爵の息子に声を掛けられ話し込んでいるところを彼の婚約者である御令嬢から見咎められた。
 そこを助けたのがルシアスだった。

「あの時のルシアス様はとても素敵でした。おひさまの光に銀の髪が輝いて、お優しい青い瞳をわたくしに向けて、たった一言であの怖い方を退けてくださいましたの。あんな綺麗でお優しい方、初めてお会いしましたわ」

 日傘を取るのに邪魔だから、ぐだらんことは他所でやれと一喝したというルシアスの話から脚本と演出が変わっている気がする。

「先日お家にうかがったときは、わたくし舞い上がってしまって、実はちょっと叱られてしまいましたのよ。あまりに無礼だ、ローワン伯爵の顔に泥を塗っている自覚はあるかって」
「兄が大変厳しい物言いをしてしまったようで……」
「いいえ、言われてハッとしました。わたくしを迎えてくださったお養父(とう)様のことまで考えが及ばなかった。わたくしはこれまでとは違う、違わなくてはならい、伯爵家の娘なんだって改めて気が付きましたの」

 伯爵夫人は娘の言葉に感涙を浮かべていた。

「殿方はみんなたくさん褒めてくださいますが、あんなふうにわたくしを思って叱ってくださることはありませんでした。ですから、それがうれしくて。とてもお優しい方……」

 抜群の切れ味を誇るルシアスの言葉の刃が無効化されていた事実に人知れず驚愕する私に、リリーナはその白い頬を薔薇色に染めて小首をかしげた。

「ソフィア様、ルシアス様にはまだ婚約者がいらっしゃらないとうかがいました。そうですよね?」
「え、ええ、まぁ」
「ですから、わたくしがたくさんお話しても大丈夫な方です。わたくし、ルシアス様ともっと親しくなりたくて、妹のソフィア様に仲を取り持っていただけたらなって思って」
「……わ、わたくしに?」

 ルシアスとリリーナを取りもてと──。
 思わず言葉をなくしていると、横からハンカチを握りしめてローワン夫人が身を乗り出した。

「ソフィア様、リリーナの無礼については親代わりのわたくしがこの通り平にお詫び申し上げますわ。ですが、この子がこんなことを言い出すのは初めてなのです。寝ても醒めてもブラストラーデ小侯爵ルシアス様のお名前を聞かぬ日はありませんの。近頃は物思いにふけって食も細くなってしまって。叶わぬことというのは承知の上、後々のことはわたくしがよく言って聞かせます。ですからどうか、少しで構いませんわ。お兄様とふたことみこと、お言葉を交わさせていただくだけで結構ですから、この子の淡い恋心を助けて差し上げてくださいまし」
「ソフィア様、どうかお願いいたしますわ」

 ──えぇ……嘘でしょう……。

「兄はあの通りですので……わたくしでは、お力になれぬことかと……」


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