婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
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「本日はお招きいただき光栄です」
ルシアスは彼らが見蕩れるほどの美しい笑みを優雅に浮かべて、年老いたローワン伯爵夫妻を一瞬で掌握した。
孫同然の義娘を思い涙する老婦人に根負けして、ダメ元でルシアスにローワン家での茶会を打診したところ、ルシアスは一度、何言ってんだこいつという顔を惜しげも無く私に向けたものの、思うところがあったらしく出席を了承した。
参加にはひとつだけ条件があった。
ローワン伯その人も共に席を囲む、というものだ。
ルシアスが氷の貴公子と評されるのも伊達ではない。
実際この男には冷酷なところがあって、老夫婦への憐憫など欠片もなく、参加の目的は、伯爵そのものとの繋がりだった。
野心もなくすでに老いた彼らは夜会や会合に出向くことがほとんどないそうで、あとは余生を穏やかにと考えていた彼らと若きルシアスが接点を持つことは難しかったらしい。
加えて養女がこうなので彼女を介して伯爵と話をしようとしたところで、骨がバッキバキに折れるのは一目瞭然。だが、向こうからの誘いで、全員が一堂に会すというのであればルシアスは得があると踏んだ。
だが、ブラストラーデの携わる事業は、メインである紡績業の他は、工業系か公共インフラだ。馬主のローワン伯爵とそうまでして繋がりを得ておきたかった理由とは何だろう。
ルシアスは主にローワン伯や夫人に巧みに水を向けながら談笑し、時折話の腰を折って突入してくるリリーナにも特に冷たくあしらうことなく受け答えをした。
リリーナはその度頬を染めて、瞳を潤ませ、私はそれが余所行きの顔とわかっているのにルシアスが彼女に笑いかけるたび、どうにも居心地が悪かった。
「──失礼ながら、ルシアス殿はご結婚がまだでいらっしゃいましたな」
白い髭をたくわえたローワン老伯がその話題を切り出したのは、夫人が二度目のお茶を淹れなおしてくれた頃のことだ。ルシアスは口を湿らせた茶器を静かに下ろすと何食わぬ顔で答えた。
「ええ、長年の想いが叶わぬもので」
「ほう、そうおっしゃるということは、どなたか好い人がいらっしゃるのですか!」
「いまだ私の一方的なものですが、それ以外考えられずにおります。私も、それから耳にされていることでしょうがソフィアも、なかなか縁談がまとまらぬのですよ。まるで真に巡り会うべき者を待つ運命にあるかのように」
ルシアスは内心動揺する私を知ってか知らずか、どこか意地の悪い笑みでこちらを見やって目を眇めた。
「リリーナから聞き及びましたが、ソフィア嬢にはフィリップ第三王子殿下からお声が掛かっていると」
「ありがたくも見染めていただきました。ですが──どうでしょうね。王室にも事情があるのかまだ正式なものではありませんし、今回とて上手くまとまるかどうか」
「そう悲観なさいますな。殿下こそが、その巡り会うべき人でいらっしゃるのかも知れませんぞ。おふたりともまだお若いことですし、その上、ソフィア嬢はこれほどまでお美しいのですから、出会いなどこれから幾らでもある。きっとなかなか話がまとまらぬというのも、お父上が娘を手放すのが惜しくなってしまわれるからでしょうな」
「伯爵様はお上手でいらっしゃいますのね」
「この方ときたら若い頃から美人にめっぽう弱いの」と夫人は笑う。
「では奥様に一等弱くていらっしゃるのだわ」
「まぁソフィア様ったらいやよ、こんなおばあちゃんをからかっては」
「何をおっしゃる。重ねた歳月に宿る美しさは見目にも優るものがありましょう。何より、伯爵ご夫妻の仲睦まじさは羨ましく思うほどです。よろしければ、この若輩に秘訣を教えてくださいませんか。ぜひ将来の参考にさせていただきたい。だろう、ソフィ」
低く穏やかな声で告げたルシアスに、ローワン伯爵夫人とその横にいたリリーナは頬を染めてため息をこぼした。上手いもので話題は自然と切り替わり、和やかに場は進んでしばらくすると、ルシアスはふと私の背中に手を添えて囁いた。
「ソフィ、そろそろ我々もお暇しなくては。すっかり長居してしまった」
「左様でございますね。とんだ、失礼を……」
触れた手の熱を久しぶりに感じて、思わず体が跳ねた気がした。過剰なほど驚いてはおかしく映る。
努めて穏やかに微笑んで「愉しいお話ばかりで時を忘れてしまいましたわ」などと取り繕って、私たちは席を立った。
「こうして改めて見ても、おふたりは本当に絵になるご兄妹だわぁ。ですけど、あまり似てはいらっしゃらないのね。ルシアス様はお父様の面影があるけれど」
去り際、夫人の口にした何気ない一言にローワン伯は慌てた。
「これ、失礼を申すな!」
「構いませんよ、伯爵。──私どもに、血のつながりはないのです」
おいで、とルシアスは私の腰に手を添えて促す。
完璧なエスコートで侯爵家の馬車に乗り、リリーナの熱い視線に見送られながら角を折れると、向かいに座るルシアスはすぐにため息をこぼした。
「……疲れた」
「お願いを聞いてくださって、ありがとうございました」
「いやいい、俺としても考えあってのことだ。ソフィのお人よしも大概だが、うまくことが運べば、この気疲れも必要経費だろう」
「ローワン様とよしみを結んで、新たな事業でもお考えなのですか?」
「将来の稼ぎを考えている。おまえに苦労はさせられんからな」
「はい?」
事業の拡大を考えているのであれば、仮にも補佐をしている手前、上司として私にも情報共有をしてほしいものだ。腑に落ちない顔をしていたのか、ルシアスは「時期が来れば話す」と告げ、馬車の小窓から流れる街並みに目をやった。
「ソフィ」
「はい」
「先ほどの件だが」
「はい、事業の」
「違う。背中に触れたとき、緊張しただろう。触れたのも久しぶりだった。──意識したのか?」
青灰の瞳が私を窺って、ゆっくりとこちらに向けられる。
顔に熱が集まるのをどうしても抑えられず、私は唇を結んで咄嗟に俯いた。
「俺は我慢が大変だ、愛しい人」