婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

 (3)

 客室を三部屋使い、テーブルや長椅子で簡易ベッドを拵えて、これを隔離部屋とした。
 使用人とその家族を含め、発症した大人は八名、子供が四名、うち乳児がひとり。
 大人の半数の症状はそこまで重くなかったものの、距離を動けないから部屋の隅に設けた便座に這う這うの体で駆け込み、呻き声を同僚に聞かれるという屈辱に泣いたものもいた。

 苦しむラインハルトや子供たちの看病で眠れない夜を過ごし、食事や水分補給、清拭の介助と消毒に明け暮れながら、私は意外な知らせを聞いた。

「──お兄様が?」

 窓越しのロバートの報告では、当座の宿に父母を送り届けた後、街で路上にまで倒れ込む市民を目にしたルシアスは、すぐさまその地区の診療所と教会に掛け合い、症状のある市民の療養を受け入れる体制をとったというのだ。

 場所も人手も足りずにいた診療所は教会の助けがあればと頷き、ルシアスはおろおろするだけの教会に寄付をチラつかせて迫り受け入れを取り付けた。
 症状のない街の人に給金を出すといって人手を確保し、清潔な布や肌着となる衣服の提供を求め、消毒用のさらし粉を携わる紡績工場を通じて集めて自らが陣頭指揮に立っているという。

「はい。それで、お嬢様に他にやるべきことや気を付けるべきことがあるかを確認いただきたいとのことで」

 言ってロバートはルシアスの筆跡で書かれたメモを渡してきた。
 メモにはルシアスが仮設療養所を敷くにあたり行ったこと、現状の対応状況などが細かに書かれていた。
 ──冷酷な魔王にこれほどの公助の精神があったとは……。
 所詮は私も素人だ。けれども、マスクの徹底、汚物や糞便の処理の仕方、換気、療養者の食事、洗濯や器具の消毒方法など思いつく限りのことを書き添えて再びロバートに託した。

 それから、思い立って私はフィリップへ急ぎの連絡を取って、ルシアスの状況を伝えた。知らせを受けてすぐに馬を侯爵邸に走らせてくれた彼の話によれば、街は市民も貴族も広い範囲に渡って症状を抱えたもので溢れかえっているそうで、王政府としても至急の対策を取っているとのことだった。

「ソフィがこういったことに詳しいとは驚いたよ。素晴らしい」
「たまたまです。私も昔、罹患したことがあって」
「それは辛かったね」

 前世の話です、殿下。
 失礼かとは思ったがマスク替わりに口元を布で覆ったまま話した窓越しのフィリップは、ルシアスが指揮を執る療養所にも顔を出し、必要な物資や援助を惜しまないと約束してくれた。

「医者も何も手が足りないそうだ。まだ全貌がはっきりしたわけではないけど、原因は水じゃないかって」
「範囲が広いですからね。ルシアスが聞いているぶんには、この間の安息日前後に街の広場に出ていた屋台の食べ物も怪しいようです。何件か安い海産物の店があったそうですが、生焼けのものも多かったようで、当家の使用人で一番発症の早かった者もおそらく同じ店のものを食べています」
「わかった。そっちの調査は対策室に持ち帰って僕がする。ありがとう、ソフィ。ライリーの状況は?」
「まだつらい状態ですが、果実水はなんとか頑張って飲んでくれています」
「そうか……一日も早い回復を祈る。僕にできることは何でも言ってほしい」
「こんな時ですから、お言葉に甘えさせていただきます。どうかフィルもお気をつけて」
「ソフィも。無理はいけないよ」

 *

 看病に手を貸してくれる使用人たちと、常に感謝と「気をつけて」という言葉を交わす。なにせ目に見えぬ敵だ。
 もちろん、私も気を付けた。自分が倒れては元も子もない。
 それはよくよくわかっているし、気を付けたつもりではあったものの──

「……しん、ど……」

 本邸と離れを隔離して四日。ラインハルトとトーマが山を乗り越え、屋敷の者の半数が回復したころとなって、元気が取り柄の私が発症。そこまで症状は重くはなかったものの、吐き気がおさまらなかった。
 ルシアスが療養所に行ったきりとなったため、ブラストラーデ侯爵家の執務は無事本邸に戻った義父が行うこととなった。ロバートはルシアスの右腕として東奔西走しているため、発症を免れた執事のティムがあたふたしながら離れの執務室にあった書類などを運び出し、私が把握している限りの執務状況をリストにして義父に提出した。

「……これを、おまえが?」

 青白い顔でやっとのことで報告した私に、義父は手元の書面を見ながら目を上げる。
 この窓越しの会話にも慣れたものだったが、そもそも義父と話すこと自体久しぶりのように思う。

「はい……。何かしらお役に立ちたいと出しゃばったまねをしておりました。リストに記載した各案件に関して、お兄様が把握されていらっしゃる状況からそう乖離はないものと存じます。直近予定されておりました、鉄道事業の会合につきましては昨日延期の知らせがお兄様当てに届いておりましたので、改まった日時については状況が判明次第ご連絡申し上げます」
「そうか。ティムの腕が立つのかと思っていたが、あれに聞いてもなかなか要領を得ない。おまえに聞かねばわからんと泣き言を言っていたのは本当だったようだな。ルシアスも、これまでの試算書の類はおまえの作ったものだと」
「お兄様のなさりたいことを少しお手伝いさせていただいているに過ぎません」
「ラインハルトの世話もあるだろうに」
「そうおっしゃるのであれば、どうかお義父様の有能な秘書をお兄様にお預けくださいませ。いくらお兄様が傑物でいらっしゃるとはいえ、ひとりですべてを執りまわすには限りがございましょう」

 義父はルシアスと似た冷たい目元を再び書面に戻すと、本邸に向かって踵を返した。

「ソフィア。養生しろ。使用人の看護の件もおまえに任せる、掛かった金は気にするな」
「ありがたく存じます」

 名前を呼ばれたことなどいつぶりだろう。
 さらに三日経って私は完全に回復し、散々だった街の状況も徐々に落ち着いてきたという知らせに胸をなで下ろした。
 カールのところの赤ちゃんもその母親も無事乗り切って、屋敷の患者となっていた者は、全員がなんとか苦境を脱することが出来たのだった。


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