婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

「おい、いつまで私たちをこんなところに寝かせておく気だ」

 気付けば、軽症者用の区画で、もめごとが起きているようだった。
 仕切りとなっている衝立の奥を覗き込むと、並んだ簡易ベッドの上で半身起こして、掃除人に詰め寄っている男がいる。こんなときだろうがしっかり撫でつけた髪型からしてそれなりに裕福そうに見えた。他にふたり似たような顔をした男たちが、そうだそうだと、困惑する掃除人を詰っていた。

「ここに来ればちゃんとした治療が受けられると聞いたのだぞ。それなのに、軽いだのなんだのと果実水を飲まされ寝かされるだけ」
「兄様の言う通りだ。しかもこんな粗末な服を着せられて。私は熱があるんだ、軽いわけがなかろう」
「貴族用に個室を用意しろ。平民と寝台を並べられるなんて屈辱以外の何物でもないぞ」
「ええ、兄様の言う通りです。おまえ、私たちを誰だと思っているんだ、うう腹が痛い」
「下男のおまえでは話にならんな。誰かもっと身分のしっかりしたものはおらんのか」

 この療養所では身分と出自は関係がない。区別があるのは性別と病状の程度のみだ。
 ルシアスが定めたことであって、療養者の名簿を作る際、貴族とわかるものには必ず断りを入れるが、ろくに聞いていなかったのだろう。
 ここは自分が叩かれ役を引き受けて、あの掃除人は仕事に戻ってもらおうと思ったところで、ロバートは肩を掴まれた。
 振り返ればルシアスがいる。

「俺が話す。あの妙な長鼻は見覚えがある、アネトン伯爵のところの馬鹿どもだ」

 やいのやいのと口々に掃除人に文句を垂れていたアネトン伯爵の令息たちは、ふと掃除人の横に立った立派な体躯の美丈夫を目にして、一気にその目を見開いた。銀の髪は乱れ、白いシャツの袖をまくって、まるで姿は平民そのものだったが、にじみ出る気品とマスクで隠しようもない青灰の鋭い眼光は彼が只者でないことをすぐに知らせた。

「身分のしっかりしたものをということだが、何か用か」
「き、貴公は……」
「ルシアス・ブラストラーデだ。この療養所の責任者は俺が務めている。文句があるならば俺が聞く」
「侯爵家が……!? い、いや、我々としては地位に合わせて、個室などを用意いただければと思ったまでで」

 アネトン伯爵家の長男は次男に目配せをし、次男は三男に目配せをした。

「そ、そうです。ましてやルシアス殿と我々は顔見知りでございましょう。ねっ?」
「知らんな」

 ひゅ、と彼らは短く息を飲んだ。

「どうかしたのかい?」

 そこでロバートの後ろから声をかけてやってきたのは、明るい金の髪に美しい碧眼の青年だった。マスクで口元を覆ってはいるが、こちらも普通ではない雰囲気がある。

「フィリップ殿下!」
「やあロバート」フィリップは気さくに言って、奥のルシアスに歩み寄った。「ルシアス、陣中見舞だ。表に頼まれていたいくばくかの物資を届けたよ」
「感謝申し上げます、殿下」
「どこもかしこもルシアスの指示を待っているみたいだったが、こんなところで何かあったのかな?」
「大したことでは、この者どもが上のものを出せと騒いでいたものですから」
「そうか。君は忙しいだろう。話があるなら、僕が聞くでも構わないけど。身分もある程度(・・・・)上の者だし」
「痛み入ります。だが、どうも話はなくなったようだ」

 まさかの王子殿下の登場に、アネトン伯爵家の息子たちはもはや言葉もなく全員青い顔で俯いていた。

「理解はしたと思うが、ここに身分の貴賤はない。危険を顧みず世話をしてくれる者に感謝し、糞を垂れ流して迷惑を掛けんよう、せいぜい貴族らしく振る舞うがいい」
「お大事にね」

 向かって踵を返したルシアスとフィリップの背中を、ロバートは慌てて追いかけた。
 ──しびれた! やはりルシアス様だ。おれはルシアス様についていくぞ!
 フィリップ殿下もいい人だけれど。

 何事か短いやりとりを交わすふたりを眺めながら、ロバートは今日のことをソフィアに絶対報告しなくてはと心に決めた。


< 32 / 46 >

この作品をシェア

pagetop