婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

六章 自覚する想い


 (1)

 感染症騒動も落ち着いて、しばらくは諸々の事後処理や執務に忙しく追われていた。
 ルシアスは領地の状況を確認しに向かい、私は彼の不在の間、何故だか義父の仕事を手伝わされた。
 義父付きの秘書がひとりルシアスに同行したため、その代わりに私が本邸の執務室に入るというもので、仕事といっても書類整理や簡単な文面の作成やチェック、あって計算程度だったが、常に義父の視線に晒されながらという状況が異様で緊張した。

 執務室がその状態なのに部屋を抜けても、本邸には母がいる。
 出かけていることも多いが、屋敷の一角で貴婦人を集めてサロンを営む彼女とは本邸の廊下ですれ違うこともあり、これまでは私が視界に入るだけでその美しい瑠璃の瞳に嫌悪を浮かべていたというのに、ある時、意外なことに母は義父の執務室に向かう私のそばで足を止めた。

「殿下とは上手くおやり、かわいいソフィ。期待しているわ」

 囁かれた甘やかな声音にぞっとして、私は何も答えることができなかった。

 フィリップは忙しいようで、手紙の頻度もまちまちとなって、婚約の話は特に進んでいる気配がない。
 不思議と、義父はこの件を急ぐつもりがないようだった。いつもの流れで話が頓挫する可能性を踏まえ、相手が王族とあってより慎重になっているのかもしれない。
 これまでならば相手に非があったから私が呪われている程度の噂で済んでいたが、瑕疵のない王子殿下と正式な婚約を結んで万が一にもそれが破談となれば、ブラストラーデの家門そのものを疑われかねない事態だ。

 そしてその場合、外に出せなくなった私の飼い殺しコースが確定する。

 もしや、この飼い殺しコースこそが、ルシアスの言う“計画”なのではなかろうか。
 人の喉笛に噛みつく勢いだった男だから、ヤンデレ監禁エンドみたいなこともあり得るかもしれない。
 だが、これの他に想定され、いま最も私が恐れるのは、──完全なる社畜の道だ。

 家族が経営する会社の社畜なんて二十四時間労働で酷使され続ける。嫌だ、怖すぎる!

 あとは例えば、計画上、ルシアスが兄妹関係の解消を狙っているとして、母がいまさら侯爵夫人の座を離れる気があるとは思えない。あるとすれば、使えなくなった私がどこぞの養子に出される線だろう。
 そうなれば私は世界一かわいいライリーのお姉様をやめなくてはならない。嫌だ、つらすぎる!

 あとはあとは、と考え続け、そもそも私がルシアスの計画にやきもきする必要はないのだと気付いた。
 まるでなんだかルシアスに期待しているみたいでおかしいし、魔王のお考えなど拙にはわからぬことであり、殿下との結婚も当人のくせにもはや私がどうこうできる話ではないのだから。

 ──これから、私、どうなるんだろう……。

 私は、どうしたいのだろう。

 *

 フィリップに話が出来ないかと王城に呼ばれたのは、それからしばらくしてのことだった。
 悩みに悩んで余所行きではあるけれど、それほど堅苦しくもない格好で伺えば、敷地内にある離宮の方に案内された。
 以前、先の女王陛下の愛犬であるゾルとラインハルトたちが遊ばせて頂いた庭も離宮のほうで、もしやフィリップがおばあ様と住んでいるというのも、この離宮のことなのかもしれない。

「ソフィ!」
「フィル、お招きくださいましてありがとうございます。しかしながら殿下におかれましては、ご多用のご様子」
「ほんと忙しくて、忙しいから逢いたくて、呼んじゃった」

 へらりと疲れた顔で笑ったフィリップに、私も笑ってしまった。
 手入れされた離宮の庭を歩きながら、先日の感染症騒動で積極的に動いたことで、フィリップの王政における位置付けに変化があった、という話を聞いた。これまでは留学や諸外国への訪問を重ね比較的自由に過ごし、ある程度の公務に携わる程度だったものが、彼を重要な用件に関わらせようと急に周囲が動き出したというのだ。

 咲き誇る花々で囲まれた美しいガゼボには揃いのお仕着せをまとい待機していた侍女たちがおり、彼女たちはフィリップと私に丁寧に礼をとると粛々とお茶の準備を始めた。
 温かな紅茶と焼き菓子の用意が整うと、フィリップの合図で彼女たちは一斉に下がっていく。

「能ある鷹のしっかり隠していたはずの爪がばれてしまわれたようですね」
「あはは……うん」
「他に何もありました?」
「あ……その、なかなか君との話が進まなくて、申し訳ない」
「お忙しいのですから仕方ありませんよ」

 フィリップはちらりと私を見やると、言葉を探すように口を開きかけて、そしてまた閉じる。

「フィル、言いにくいことであれば、ぜひそのままおっしゃってくださいませ」
「ありがとう……実は、止まっていたはずのティーセル王家との縁談が、また動き出した。いま、周りが僕の意志を尊重する派──いやごめん、ソフィならわかると思うから正直に話すよ。やはりこれに関して僕の意思は関係ない。僕を取り巻く周辺は、ブラストラーデを取り込むことにメリットを感じる派閥と、ブラストラーデを脅威とみなし、ティーセルとよしみを結ぶ外交的メリットを推す派閥、そしてどちらでも損をしない派に三分している」
「全体を十として、それぞれどの程度の構成比なのですか」
「三対、六対、一ってところかな……」
「ちなみに、ずっと気になってはいたのですが、国王陛下や女王陛下のご意見は……」
「父上は僕の気持ちもわかってはくれているけど最終的には国益を重視する、と。母上は……何度説得してもソフィにかかっているという実しやかな呪いの話を信じてるみたいだ。まぁ息子が急に連れてきた相手なんだから調べて当然なんだけど、ソフィのこれまでの縁談の顛末を耳にしたみたいで。あと、ティーセルの女王陛下とは個人的に親しいから」
「あぁ……」

 義父が積極的に婚約に向けて動かない理由はこれだ。
 義父は王城内の状況を把握しているのだ。現状から下手に話を動かさないほうが、お互いなかったことにしやすい。

「君のお父上は相当な切れ者だが、これまで政治にはあまり深く関わろうとはしてこなかったらしい。どちらかといえば事業家としての顔がメインで、意見を請われてようやくテーブルについてくれるような立ち位置だった。でも、君と僕が結婚して、彼ほどの人が王城内で今以上の力を持つと考えた時に恐れを感じる者が多いみたいなんだ。そして、みなどうやら、現当主以上にその息子の台頭を懸念している」
「ルシアスのことを?」
「ルシアス・ブラストラーデは、二十歳前にしてすでに父親の跡を継いで領地も事業も切り盛りしており、化け物じみた能力と人脈もある。加えてあの見目。今回、苦しみに喘ぐ街で、危険も顧みず自ら陣頭指揮をとって献身を示した彼は教会と市民すら味方につけた。氷の貴公子に人望がつけばもはや敵なしだろう。彼らからすれば、自分の席がいつルシアスに攫われるかわからない。どうか彼が王城に来てくれるなと必死なんだ」

 なるほど。
 王子殿下との結婚というのはかくも政治が絡むものなのか。

「ソフィ」

 フィリップはそこで私の手を取ると、ぎゅっと握りこんだ。

「──駆け落ち、しない?」
「か……はいぃ?!」
「他に方法がない」
「極端過ぎます!」
「でもこのままじゃ!」
「フィル! 落ち着いてください。そもそも私まだ、あなたと駆け落ちしてもいいと思えるほど好きになったわけじゃありません」

 途端、フィリップは目を見開いて固まった。

「ご、ごめんなさい、でも本当に冷静になってお考えください。殿下」
「はい……なりました……冷静」

 長々と息を吐き出し、フィリップは明るい金の前髪をかき上げると長椅子の背もたれに深く体を預けた。

「本当その通りだ。君のこと、振り向かせてみせるなんて大見得切っておいて、僕は何にもしていなかったね。デートもろくにできなくて」
「何もなんてことはありませんよ」
「でも、ソフィのその様子を見ている限り、僕は人としての信頼は得ても、君の恋心を射止めてはいないみたいだ」
「フィル……」
「ずっと焦っているんだよ。僕が知らない間に、ルシアスと何かあるんじゃないかって」

 ──ありました……。
 まさかの三角関係に発展するとは思いもよらず。

「ソフィは、ルシアスが好きなの? 男として」
「へ、すっ、すきって」
「その動揺が答えみたいなものじゃない?」
「そんなことは! 血のつながりがなくても、結局のところ……兄妹であることは変わりませんし」
「気持ちを持つことは別だろう。現にルシアスは僕に言ったよ。君を妹と思ったことなどないと」
「ルシアスはそうかもしれませんけど、私は──」
「でもその気持ちを向けられることは嫌じゃないんだろう? それは何故?」

 何故って。出会ってこの方、私は生き残りをかけて魔王様に取り入ることに必死だったのだ。
 ずっとそばにいた。もちろん嫌いなわけではない。でも、ルシアスを前にして想うこの気持ちが今更どういう類のものなかなど、わかるはずもない。

「フィル、ごめんなさ──」

 言い終わらぬうちに、強引に口付けられていた。

「僕は諦めないよ」
「フィル……」
「──迎えの者を寄越すから、ここで待っていて。ごめん」

 呆然として、足早に去っていく後ろ姿を見つめるしかなかった。
 口付けは唇の端だ。
 突然のことにズレただけなのかもしれないが、けれど私には、フィリップという人がどこまでも誠実だからと思えてならなかった。

「かァ、青いねぇ。なんちゅう自分勝手か!」
「ひょわぁあ!」


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